靖国神社臨時大祭参列者の自殺未遂事件

昭和14年春の靖国神社臨時大祭に参列した遺族の一人が、東京からの帰途、長野駅で自殺未遂事件を起こした――そんな資料を、防衛省防衛研究所の「靖国」関係資料で見つけた。
臨時大祭に全国から招待された遺族たちにのしかかった、上御一人親拝のプレッシャーの巨大さに吃驚仰天した。ナマ資料から引用する。

昭和十四年五月二日

靖国神社臨時大祭参列者の自殺未遂事件に関する件

(宛名など略)


本籍 福井県●●郡●●村
住所 右 仝
農 中澤澤吉
当四十六年


右は今次事変戦死者にして客月*1二十五日靖国神社臨時大祭に合祀せられたる仝村出身戦死者村田典五郎の遺族代表として出席し帰途善光寺に参拝したるものなるが仝月二十九日信越長野駅に於て飛込自殺を図りたるも所轄署取締巡査の救助に依り未遂に終りたる事件発生状況左記の通りに有之。
(略)


動機並に状況

本名と戦死者とは又従兄弟(六親等)の間柄にして、今回靖国神社臨時大祭執行に当り護国の英霊として合祀せられたる遺族村田はま(戦死者実母)より代理として出席方依頼を受けたるも、資格者は四親等の従兄弟迄なるを以て(本人自供に依る)従兄弟たる福島金次郎名儀にて臨むこととし、当日上京臨時大祭に参列 天皇陛下 御親●*2の奉送迎、皇居拝観、遺族としての旅費支給を受けたる等極めて鄭重なる遊軍を受けたるに拘わらず、自己を省みる時資格を偽り参列したるは最も恥ずる処なりとし深く良心の呵責に耐え兼ね死を以て之を償い、以て 上、天皇陛下 にお詫び申上げんと、途中下車し善光寺並に忠霊殿に参拝、信越長野駅に戻り臨時招集の応召者見送りの雑踏中の仝駅に於て、上り上野行列車目掛けて飛び込み自殺を図りたるも、取締巡査に救助せられ未遂に終わりたり*3

その時の新聞に当たっていないので、この事件が公になったかどうかは定かではないが、当時としてはかなりのスキャンダルであったに違いない。冒頭省略したが、この書類は「長野県知事 富田健治」から、「内務大臣 木戸幸一殿、陸軍大臣板垣征四郎殿、福井県知事殿、松本憲分隊長殿」に宛てられた公文書である。官僚機構の繁文縟礼主義といえばそれまでだが、わざわざ県知事が報告書を起草するほどの事件ではあったらしい。
自分で自分をどんどん追い込んで飛び込み自殺まで思い詰める中澤澤吉さんは、たぶんクソがつくほどのマジメ人間だったのかもしれない。案外とこういうチョンボをする人は多かったはずだが、彼の背中を押したのが天皇靖国親拝の「有難さ」であったというのだから、ひとつ間違えば恰好の美談材料として当局に活用されたのだろう。しかし残念ながら、チョンボはあくまでもチョンボ。しかもコトが靖国にかかわることだけに、当局としては参列者に対する事前の身許調査の不首尾=大失態と受け止めた模様だ。
というのも、当局にとってはこうした「誉の遺族」のスキャンダルは当然にも忌避すべきものであって、靖国神社の参列者については事前に厳重な思想チェックがかけられていた。(つづく)

*1:「先月」の意

*2:判読できす

*3:カタカナをひらがなに、仮名遣いを現代仮名遣いにあらため、読みづらいので適宜読点を補った