靖国神社に全員集合


昭和18年4月靖国神社臨時大祭遺族行動一覧表


昭和18年4月の靖国神社臨時大祭実行委員会からの「招待状」に同封されていたものには、臨時大祭期間中の遺族のタイムスケジュールも入っていた。
A3のわら半紙に活版刷りのもので、大きなサイズのものを>>こちらにアップしました。
詳細を眺めてみよう。


4月20日(火)――21日(水)
この日の指定された時間・場所に遺族は集合して、受付を通らなければならない。
大家の婆さんは香川県の人だったから、4月20日の午前八時(!)に集合であった。ということは、移動は前日19日だったのですね。
この移動のために、遺族専用列車が用意されていたのだが、それについては後述。
集合場所は「九段坂上東部第二第三部隊構内」とある。こりゃあいったいどこだ?と探してみたら、今はこんな建物になっていた。

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この受付で、遺族は「記念品、宿泊料(大日本帝国から宿泊料の援助があった)、車賃等受領」することになっていた。先日アップした「遺族証明書」の「甲乙丙丁」スタンプは、これらをもらうときに押してもらったのだろう。宿泊料に交通費……まさにアゴアシつきである。この日は受付だけでオシマイである。


4月22日(木)
この日は、午前中は「全員随意」と書いてある。要するに「自由行動」ですな。「主要行事」の欄には「靖国神社境内 大東亜戦争関係展覧会観覧」とあるので、境内で催されていた戦争パノラマや兵器の展示などをちゃんと見ておけ、とゆーことなのだろう。
この「展覧会」の模様を描いた絵はがきがある。

かなりどんよりした雰囲気だが、書き割りの背景の前に戦車(チハたんか?)の実物をおいて、なんかそれっぽい雰囲気に仕立て上げたのだろう。人混みに散見される白い割烹着は、いうまでもなく大日本婦人会昭和18年には愛国婦人会と国防婦人会は組織合同済みだったはず)のオバハンたちである。地方からやってきた遺族に何かと世話をすることが、東京支部の会員たちの大きな役目だったらしいが、それはそれで香ばしいエピソードに書かないので別稿にゆずる。

で、午前中は猛烈な人混みの境内をウロウロとし、午後からはいよいよ「招魂式」である。表中にあるように、あまりにも遺族の数が多いので、招魂式も「遺族番号」のカタマリごとに何回かにわけて開催した模様だ。けれどもこれもまた過酷なスケジュールであった。
最初にそれぞれ午後12時30糞に今の日本武道館のところに集合、そののち午後2時30分から「陸海軍大臣及大祭実行委員長の遺族に対する挨拶」がはじまるのだが、集合時間から待たされること2時間半である。これはかなりツライ待ち時間である。
ところが、この「挨拶」が終わって、さあいよいよ「招魂式」だ!と思ったら、まだまだ待たされるのである。「招魂式」の開始は午後7時30分。それまでに「係員の誘導に依り位置に就くものとす」という但し書きがあるので、遺族たちはゾロゾロゾロと境内に移動したのだろうが、12時30分に集合して、約半日を武道館―靖国神社のふきさらしの野天の下に、ただひたすら待っていたのだから恐れ入る。いまなら考えられないほどのタイムスケジュールだ。
そのあいだ遺族たちは飲まず食わずだったのか? 「集合場所に於て夕食代用として「パン」をお渡し致します」ともあるのだが、それがどんなものだったのか、大家の婆さんは覚えていなかった。ともかく「北の丸では立ちっぱなしで、境内ではむしろの上に座らされて、もうとにかくものすごい人だったから大変だったわよ。お便所はもうめちゃくちゃ。昔の人は、ほら、こういっちゃあなんだけど、お便所の使い方が今の人よりも意外と汚いのよ」とのことであった。便所の使い方にはへえぇーであった。(この項つづく)