靖国神社の聖母子像(3) 「半島」から来た聖母子


「婦人倶楽部」昭和18年7月号口絵

みたみわれ

忠魂靖国のみ社の神鎮まります春の臨時大祭に、全国から馳せつどうた五萬の遺族の中に、ひときわ目立ったのは、半島婦人の海山玉連さんの誉れの姿――軍属として北支に散華、忝なくもこの度合祀の光栄に浴した夫君致賢氏の英霊に対面すべく、長男の承官君(十一)の手を引き、三歳の二男一官ちゃんを背に、はるばる朝鮮の山深い故郷から上京したのであった。吾子ともども恭々しくみ社の御前に額づくその眸は『みたみわれ』の感涙に濡れ光っていた。

清地清松画

 記者によって勝手に「みたみわれ」の感涙にむせんでいることにされてしまった、「半島」からやってきた靖国聖母子像。セオリー通り、連れている子は母親の右側だ。
 上掲のキャプションによれば、昭和17年春季臨時大祭での一こまらしいが、当時の臨時大祭でこんなにガラガラのはずはなく、やはりこれまでの聖母子像と同様、モデル撮影会のようなものが行われたのは想像に難くない。
 この海山玉連さんが、どうやって靖国までやってきたのか。ちょいと調べてみた。(つづく)