住民集団自決に「愉快なことぢゃ」

 日本史教科書から、「日本軍が住民に集団自決を強制した」旨の記述が一斉に消されたらしい。なんだ、文部科学省はやっぱり真理省だったのかスミス君、てなかんじである。
 「つくる会」系の人々の大好きな「当時の価値観で歴史を見る」方法からすれば、生きて虜囚の辱めを受けぬ集団自決は大いなる喜びであったはずなのに、何をビビっておるのか、と思う。というのも、当時はこんなトンデモないことをいう爺さんがいたからだ。
 昭和19年7月、サイパン島を守備していた約3000名の日本軍は「万歳突撃」を敢行し、玉砕した。残された日本人住民たちは、北部の断崖から身を投じて自決し、海面は血に染まったという。驚くべきことに、この悲劇を「愉快なことぢゃ」と喜んだ人がいた。なんたる鬼畜かと思いきや、誰あろう、かの右翼の巨魁・頭山満翁であったのだ。
 当時一番のトンデモ総合誌「公論」10月号(第一公論社刊)に、こんなインタビューが掲載されている。

――(記者)サイパンの全員戦死の問題につきまして、先生は、「愉快なことぢゃ」と仰いまして、家人に山桜の墨絵を掛けさして、しばしご覧になられたと承りました。

 大人物は愉快なときには掛け軸を見入る――なるほど高尚な趣味ぢゃ……とメモしとこ。ここまでで、すでに「なぬー!」と驚くが、記者は頭山翁を追及しているのかと思ったら全然そうではなかった。

――(記者)その後暫くして、サイパンに於て婦女子までが、天子様を拝して玉砕したといふことが発表になり、それが最近内地の女子たちを非常に強く致しまして、もう本当にいつでも死ねる気持を女たちが持てるやうになりました。

 おいおいおいおい! これがサイパン玉砕の教訓なのかよ! これを承けて頭山翁曰く

頭山 これは獣族の民(=アメリカのことか?)だから、残忍を極めてやるようなことは、あれらの本性を発揮するものだ。残りなくやるがいい。かういふものだから遂にひどい目に遭ふのだといふことになればいゝ。こつちをなんぼひどい目に遭はさうとも殺さうとも、一人の降る者がないといふことが何よりの喜び、何よりも愉快なことだ。道のために生き、道のために死す。忠に死し孝に死するは臣子の大経なり。これくらいの喜びはない。そこに大いなる将来がある。

 ええええええ!……要するに、皇国臣民は忠孝の道に喜んで死すべし、ということなのである。これを「愉快」「喜び」と感覚するのだから、やはり頭山翁には常人ならぬものを感じるワケだが、ある意味でかの「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱めをうけず」を地でいっているわけだから、大日本帝国的にはOKだということか。しかし、どう考えても一般読者は相当に「ひいた」ハズなのだが……こんな言説が平然とまかり通るほど日本社会が狂っていたのだろう。
ところで頭山翁の愉快は、それだけにはとどまらない。サイパン玉砕の後にもかかわらず――

幸ひに戦ひを始めたから、勝って勝ち抜くよりほかに行く先はない。実に結構な時です。愉快のほかはない。昭和の岩戸開きを愉快にやらなければならない。これくらい面白いことはない。

 などと上機嫌に語っているのだから、もはや別の世界にイっちゃっていたとしか思えない。頭山翁には「空に向かって気合いをかけてB29を撃墜させた」という伝説もあるくらいだから、何を言っても不思議ではないのだけれど。
 このインタビューをうけてから1ヵ月後の昭和19年10月5日、翁は御殿場の山荘で大往生を遂げた。享年90歳。このインタビューのタイトルは「神州不滅」であったが、頭山翁の言うとおりにしていたら「日本人」は滅びていたはずである。やはり「殺せ、と命じる者を殺せ!」(埴谷雄高)と言いたい。


1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)