「大君のへにこそ死なめ」……今すぐに!

とりあえず、第五期国定教科書「初等科 習字三」より、この御言葉を。

いわずとしれた「海ゆかば」の一節、大伴家持の作。
で、これに涙する人々がいるわけです。

海ゆかば みづく屍 山ゆかば 草むす屍 

 大君の へにこそ 死なめ かえり見はせじ

今日の朝、正論を読んで、早速、楽譜を図書館から借りて、一気に書き上げた。自分で言うのも変だが、編曲を聞きながら、涙が出てきてとまらなかった。誠に壮大な曲である。私の編曲は、この曲の歴史と栄光に相応しいできばえだと自負している。

 しかし、返す返すも アメリカに負けた事が悔やまれる。

清水義一郎おもしろ編曲

美しいですなあ〜(棒読み)。

さらに都留文科大学教授・新保祐司センセイは、「心ある日本人」に次のように呼びかけていた!

【正論】8・15」に思う 「海ゆかば」を聴くべき日
産経新聞2007.8.15

(前略)
 ここで平成17年6月、戦後60年の年に、天皇皇后両陛下がサイパンを訪問されたときの胸を打つエピソードを思い出す。敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという。予定になかったことであった。60年前の玉砕の悲劇を回想するとき、島民の心から自(おの)ずから「海ゆかば」が湧きあがったのであろう。「海ゆかば」とは、そういう音楽である。

 自ずから「海ゆかば」を歌い出すサイパン島の「島民」と比べるとき、「海ゆかば」を知らない、あるいは封印しつづけて経済的繁栄だけは手に入れた日本列島の「島民」とは、一体何か。河上の有名な「配給された自由」にならっていえば、そこには「配給された平和」が長くつづいていたにすぎない。戦後レジームからの脱却というようなことも、戦没者追悼の場で、自ずから「海ゆかば」が歌い出されるようになってからの話であろう。

 8月15日に、心ある日本人は「海ゆかば」を起立して聴くべきである。「涙が出て困」るほどに感動するであろう。そして、あの日の「国民の心の一瞬」の「静寂」にさかのぼってみることである。そのようにして鎮魂を引き継いでいかなければならない。(しんぽ ゆうじ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/070815/plc0708150507002-n1.htm

おいおい、いつの間に『海ゆかば』が「鎮魂」の歌になったのだ。勝手に解釈を変えちゃあいかんだろう。この歌は

海ゆかば」を思い切り歌ってきました。昨日16日の晩、東京・神田の学士会館で、文藝評論家、新保祐司氏編『「海ゆかば」の昭和ー封印された鎮魂曲』刊行記念集会に行ってきました。同著は戦中派から戦後世代まで、様々な領域の50人の「海ゆかば」に寄せる思いを綴った本邦初の文集です。新保さんや中曽根元首相、文藝評論家・桶谷秀昭氏、そして、わが産経新聞の住田良能社長らのあいさつと相前後して披露された福原久美さんのソプラノによる「海ゆかば」独唱、国立音楽大の女子学生による弦楽四重奏には、あまりに心ときめいて心臓が飛び出してきそうでした。最後は参加者150人による大合唱で締めました。「海ゆかば」をめぐるこれほど感動的な集会は戦後でも初めてでしょう。(斎藤勉 正論調査室長&論説委員
http://saitob.iza.ne.jp/blog/entry/102806/

こういうふうに、陛下のためにいつでも死んでいいと思う人用の萌え萌えソングではないのか? 大伴家持の決意表明なんだから、もっと心臓バクバクでまじめに歌えよ。歌うからには、海であろうと山であろうと、人に迷惑のかからない場所でとっとと実行しろや。そういう根性もなしに、感傷ベトベトで「「海ゆかば」に寄せる思いを綴った」りなんかしてお茶を濁すんじゃねえよ。

つーか新聞記者だったら、一倍ダッシュにオンビキを使うな。