軍国の母表彰式

「国のため、家のため、子のため、良人のため、ただひとすぢ忍苦献身の生涯を貫いてこられた軍国ほまれの母達」――こんな救いのない忍苦の生涯を送ってきた母たちを、「軍国の母」として表彰し、もって日本女性の鑑となさむ……というのが、主婦之友社の一大企画「軍国の母表彰式」であった。
昭和十八年一月号の『主婦之友』誌上で表彰された「軍国の母」は十七名。

若くして良人を亡い、死物狂いに働いて子供を立派な軍人に育て上げられたお母さん、五人の男児を五人とも飛行兵にし、四人までも戦死或は殉職させた航空日本のお母さん、遺されたただ一人の子を、胎児から海軍将校にまで育て上げ、潜水艦乗組員として大東亜の海に捧げた尽忠のお母さん……等々、次々に紹介される軍国のは二十歳の事績の尊さ、気高さに、ああこれこそ日本の母の真の姿よ、と参列者一同ただ感泣の涙に咽ぶばかり、表彰を受けるお母様方も、踏み越えてきた忍苦の生涯が今更に思い出されてか、老いたる肩をふるわせて泣かれました。

――というのが当日の模様であったらしい。「遺されたただ一人の子を、胎児から海軍将校にまで育て上げ、潜水艦乗組員として大東亜の海に捧げた尽忠のお母さん」というあたりなど、いったいこの息子の人生は何だったのか……と唖然である。
 このトンデモ母ちゃんが、「軍国の母」代表に選ばれた日高ヤスさん(四九歳)。悪性インフルエンザに倒れた夫は「もしも男が生まれたら、おれと同じ軍人にしてくれ」と言い渡して逝き、まだ身重だったヤスさんは、小学校教師をしながら女手一つで一人息子を懸命に生み育てた。
 やがて息子は父親の遺言どおり、大きくなったら「天子様の軍人になるんだ。陸軍大将になるんだ」と言い始め、やがて海軍兵学校に入学。昭和十七年一月の第二次ハワイ湾攻撃で戦死したという。この日高刀自の受賞挨拶がすこぶる強烈だった。

私共はただ子供をお国の子として護り育ててきたに過ぎません。その子供達が、大東亜の陸に海に空に、逞しい肉弾となって突っ込んで行く姿を瞼に描きますとき、よくぞこんなに立派になってくれた……とただ感謝に眼がうるむのでございます。

貴女はそんなに苦労して育てた子どもが「肉弾」になっちまっていいのか??と小一時間ほど問い詰めたいところだが、きっとヤスさんはすでに別の世界に逝ってるのかもしれない。
 ともあれ、軍国の母の子どもたちは、生まれたときから「お国のもの」で、死んでからも「護国の英霊」――と、その人生を国家によって収奪されたのであった。とんでもねえことでございます。合掌。