膨大な「反戦」「不敬」発言の集積 書評:髙井ホアン著『戦前反戦発言大全』『戦前不敬発言大全』

 歴史修正主義な御仁がよくふりまわす言葉に「現在の価値観で過去を断罪するな」というものがある。たとえば、日中戦争当時の帝国臣民が南京陥落を受けて提灯行列に繰り出してバンザイバンザイとはしゃぎまわったことも、「戦後の平和主義から見ると異様だろうが、当時としてはあたりまえだった」的に使用する。大日本帝国による欧米植民地への侵略をはじめ日本軍の捕虜虐待や華僑系住民の虐殺などなど、枚挙にいとまがないひでえことがらの数々を正当化してゆくためにも、この論は駆使されている。

 この「現在の価値観で過去を断罪するな」という愚論については、E・H・カーの「歴史は現在と過去の対話である」をひきつつ、歴史を見る主体と歴史的過去との関係から〈歴史とは何か〉に及ぶまじめな考察も可能だろう。しかしその前に、この論が前提としている「現在の価値観」とそれに対立する「過去の価値観」なるものが、そもそもよくわからないしろものなのだ。

 現在に生きている者にとって「現在の価値観とは何か」と問われると、もごもごと口ごもりつつ「いろいろあるので……わからない」と答えるしかない。総理大臣から強姦魔・泥棒・公文書改竄者にいたるまで、多様な政治的立場から発せられる「価値観」を一言に集約するのは不可能だ。百歩譲って、現存の政治体制に正統性を与える支配的なイデオロギーを列挙してみせたとしても、諸階級に分裂したこの社会にある「現在の価値観」を代表したことはなるまい。

 敗戦前までの大日本帝国に存在した「過去の価値観」もまた同じことである。ロシア革命インパクトを受け、米騒動という全国的蜂起を経験した当時の社会が、神がかり的皇国思想一色にそまっていたわけがない。そのことを雄弁に物語るのが、特別高等警察特高)のレポート『特高月報』に残された当時の反戦・反軍、「不敬」発言・落書きなどの記録にほかならない。

 このたび刊行された『戦前反戦発言大全』と『戦前不敬発言大全』には、特高(さらに憲兵隊)に摘発・報告された、当時の人びとの「反戦」ならびに「不敬」ジャンルの発言・落書・ビラ類の数々が収められている。

 じっくりと読んでいくと、さまざまな人びとの・おそろしく多様な戦争への怨嗟と怒りが当時の社会に渦巻いていたことがよくわかる。小作農は大切な働き手を戦争に取られたことを嘆き、行商人はデマをまじえて「戦争なんて負けたってかまわない」とうそぶき、工場労働者は職場の便所に「日本帝国主義打倒」を落書きする。ここに集められたのは特高に摘発されたものだけとはいえ、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』式に、大きな主語で雑にまとめてしまうと見えなくなるものが多いことがよくわかる。

 「反戦」発言・落書き群の中でも目を引くのは「現在の日支戦争は資本主義同士の戦争であって、我々とは何の関係もない」(大日本護国軍熊本団幹部、年齢不詳)、「兵卒は殆ど貧農の子弟又は下層階級労働者で、三井、三菱の如き大資本家の利益擁護の為に戦って居る」(ペンキ職工、三十一歳)、「今度の戦争は地主及び金持階級を擁護する為であって我々無産階級にとっては何等勝負に関心を持つ必要は更に無く」(農兼古物商、三十六歳)――と喝破する、強い階級意識だ。工場の便所の落書きの断片にも貫かれているこの意識は、厳しい階級社会であった大日本帝国の現実が生み出したものであると同時に、一九三一年に勃発した満洲事変以降ねばりづよく宣伝されてきた日本共産党帝国主義戦争反対カンパニアが、すでに党組織が壊滅させられたあとの日中戦争の段階においても地下水脈のように生きていたことを伝えている。

 実際、帝国主義の強盗戦争であるという認識とともに、日本など負ければいいのだとか、兵隊に取られたら上官を撃つなどなどの発言もそれなりに摘発されているが、いずれも「左傾」ではあっても元党員によるものではない。「帝国主義戦争を内乱へ転化せよ!」というボリシェビキのスローガンが、ここまで浸透していたのかと驚いた。

 第一次大戦時のこのテーゼをおさめたレーニンの『社会主義と戦争』は、一九二六(大正十五)年には佐野文夫訳(題名は『戦争と社会主義』)でレーニン著作集刊行会から出版されていた。かの「三二テーゼ」(日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ)においても「帝国主義戦争反対、帝国主義戦争の内乱への転化」は、「現在の時代に対する主要な緊切な行動スローガン」として列挙されていた。

 非合法機関紙『赤旗』紙上でも、廃刊の直前まで帝国主義戦争反対のスローガンは掲げられており、また反戦パンフレット『おもしろくてためになる戦争夜話』(一九三三―五年、『現代史資料』第一四巻、みすず書房、一九六四年所収)では、「だれの『権益擁護』か、だれの『楽土建設』か」と満洲事変の大義名分を鋭く批判しつつ、「吾々、日本勤労民は、日本帝国主義のソ同盟攻撃準備をあらゆる方法で妨害し、それでも戦争の始まった場合には、その戦争を日本の支配階級を倒す為めの内乱に転化させねばならぬ」と呼びかけられていた。

 しかし残念なことに、レーニンの革命的なスローガンは、スターリニスト・ソ連邦の防衛を目標とするものにすり替えられていたのであったが。

 戦争をやると革命が起こるかしれない――ロシア革命以後に世界を席巻したこの認識は、帝国主義列強の支配階級をどれほどおびえさせたことだろう。近隣住民とのおしゃべりを密告させ、便所の落書きに「アカ」の匂いをかぎとった思想警察=特高の執拗な弾圧は、この革命への憎悪に突き動かされていると言っても過言ではあるまい。本書に収められた発言の数々を、彼ら支配階級の側が感じた恐怖に思いを馳せつつ味わいたいものである。

 『特高月報』から反戦・反軍言動などを抜き出して紹介したものとしては、明石博隆・松浦総三編『昭和特高弾圧史』(全八巻、太平出版社、一九七五―七六年)があるが、版元も倒産し、もはや入手困難だ。また復刻版が刊行されているとはいえ、『特高月報』には〈反戦〉〈不敬〉〈流言飛語〉事案のみならず、宗教関連や朝鮮人関連の治安事案も含めて細かに記録されているので、読んでいくのはかなり大変だ。

 本書では「弾圧」については前提としつつも、当時の発言や落書きの内容を伝えることに重点が置かれているため、かなり読みやすく工夫されている。節目となる歴史上のできごとも要領よく解説されているので、年表的な知識がなくてもそれを参照できる。小学校高学年以上のお友だちの夏休みの読書にぜひおすすめしたい。

 

図書新聞第3412号(2019年08月17日)掲載