平和運動をやっている人の戦争アレルギーはいかがなものか

12月から延々と続いてきた繁忙期もひとまず一区切り。ようやくネットにいろいろアップしたりできるようになりました。
詳細不明の絵本の切れっ端を多数譲ってもらいましたので、とりあえずそんなものからtumblrにアップしていきます。


一昨日、仕事の関係で平和運動の中の人(50歳代くらい)とおしゃべりする機会があり、びっくりしたことがあった。

「軍部の暴走」ってよく言われるけれど、大日本帝国軍隊の指揮命令系統ってどうなってたんだ、という話になったわけですよ。で、まず驚いたのは「大本営」ってどんな仕組みなのか、彼は知らない。「そんなこと興味ない」って言う。えっ、じゃあなんで「軍部の暴走」ってアナタは言えるの? と不思議でしょうがいない。
で、いろいろと話すうちに、僕の方からクラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」というテーゼを紹介したところ、「それは戦争賛美だ! 戦争は戦争だ。アジアの人たちがどんなに悲惨な被害を受けたのか!」と激怒された。なんでこーなるの?

一応マルクス主義系の運動の人なので、レーニン先生が『社会主義と戦争』というパンフレットでクラウゼヴィッツについて書いていますよ、「プロレタリアの軍事綱領」では「プロレタリア子弟は軍事を学びなさい」とも言ってるし……などと紹介するも、頑として受け付けない。別に軍オタになれといってるわけではないんだが、「反戦」とかいってるんならもうちょっと「戦」の方を知ってたほうがよいのではないの?

ところが、同じ平和運動の人でも、60〜70代の人は全然違う。上の話を紹介したところ、「若い頃クラウゼヴィッツは勉強したよ〜、藤原彰さんとか小山弘健さんの「プロレタリア軍事科学」とかねー」とまったく拒否感がない。「だって毛沢東の遊撃戦論とか必読だったでしょうウフフ」とのこと。

これでなんとなくわかってきたのは、この年代(今の60〜70代)の人たちって、「革命戦争」をリアルな課題として念頭においていたんだ……と。

ここからは推測だが、1965年のインドネシア共産党武装蜂起(この事件そのものはデッチ上げの可能性があるが、当時のインドネシア共産党の路線から考えると彼らが武装蜂起を提起したとしても矛盾はない)が潰されるまでは、武装蜂起って考えていたんじゃないか(構造改革系の人たちはのぞく)。日本共産党といえども。それが党の路線転換によって、一気に蜂起の問題は消し去られたのではなかろーか。議会主義に純化した土台の上で育てられてきた今の50代の運動の担い手からすると、“蜂起の技術”なんて問題外のさらに外、となったんだろう。なんかトホホである。


追記:「世代」って使っちゃったんだけど、それは不正確ですね。あくまでも「その人」の個的なこととしてまずはとらえます。ブコメの人(id:hal9009)ありがとう。