「国際援助」を人助けだと思うのが間違い

非常に悲惨な論評を拝見したのでひとこと。くたびれているので、少々厳密ではないが、エキスだけでも。

■アフリカが発展しない理由
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207

上記エントリの筆者は、

最大産業である“国際援助(ODA)獲得産業”を超える他の産業が生まれないのはなぜか。

――と問うている。「国際援助獲得産業」とはなかなか面白い表現だが、このようにとらえるかぎり、どうして援助地獄から抜け出せないのか、サッパリ見えてこないに違いない。「獲得産業」というよりも「持続的に援助が必要な状態」にその国を置くことこそが「国際援助」の目的なんだから、上記の様な特徴付けは180度転倒している。

 国際援助の歴史を学べばいいんじゃない?(以下超おおざっぱ)
 一応、帝国主義時代の資本輸出は無視。A:大西洋憲章〜植民地独立の1945年〜60年代まで、B:それと70年代〜80年代末(冷戦体制崩壊)、C:90年代(IMF新自由主義的発展プランの黄金時代)、D:00年代――と大まかに4つにわけて、当時の「国際援助」の性格を見てみたらいいんじゃない?
 Aの時代は東西によるガチガチの陣地取り合戦。「国際援助」はそのために使われた。アメリカだったらMSA協定とか。ソ連だったら人民民主主義革命の輸出とバーター貿易とか。ケネディの「平和部隊」の提唱は、スターリン死後フルシチョフのもとでの「雪解け」ムードにともなって、対後進国戦略をよりソフトなかたちに転換したものだといえよう。非同盟運動も強力だったしね。
 Bの時代は、黄金の「アフリカの年」がすぎて、再びアフリカが東西の代理戦争の戦場になった時代。だから猛烈な戦争や内戦がアフリカ各地で起きた。アフガニスタンソ連が侵攻したころから、アメリカは「反革命の輸出」という名で、アフガンをはじめ中南米に積極的に援助&軍事援助をしこたまつぎ込んだ。
……くたびれたからここまで。とにかくこれが「国際援助」の前史。細かいことはいろいろあるんだけど、おおざっぱにいって、国際援助はあくまでも戦略援助なわけですよ。だから、「その国の発展のため」とかと大義名分を謳っているけれど、ではなんでその被援助国を発展させたいのかといえば、アメリカとかソ連とかの国益にかなうから。しかも援助したぶん、きっちり回収してるから。そのへんの援助で儲けるカラクリは、スーザン・ジョージ『世界の半分がなぜ飢えるのか』とか、アーサー・ガブション『アフリカ 東西の戦場』とかを見てちょ。
 「失敗国家」だっけ?ソマリアみたいになっちゃうのは大失敗。ソマリアやイエメンなどの事例は冷戦体制崩壊以後の非常に特徴的な事態。米ソ双方とも陣地を維持する力がなくなっちゃったから、空白地帯になってしまった。
 私腹をこやす権力者がいても、親分にとってその方が都合が良ければノー・プロブレム。あんまりひどすぎるとエチオピアみたいにソ連につけこまれて革命になっちゃうから、適当なところでクーデターをやらせりゃいいんだもん。――これが冷戦下での「国際援助」の基本モードだったわけです。