NGOと「援助大国日本」

 ペシャワール会の伊藤さんが殺害されたニュースに、たいそう胸がいたんだ。まさか……と思うと同時に、ついにあの会でも死者がでてしまったのか……と、残念な思いがしてならない。izaあたりで、また例によって「自己責任」を連呼している人が出てきているばかりでなく、ついに特攻隊員とアナロジーする電波塔な人も出現したのには驚いた。

 学生時代に、NGOと日本政府の援助戦略について調べたことがある。90年代初頭、日本がまだ「ODA大国」を誇っていた頃に、外務省のODA白書に「NGOや地方公共団体との連携・国民参加」みたいな項目が登場した。いわゆる「草の根援助」、JVCとかペシャワール会などが地道に続けていた活動を、お上がNGO事業補助金などをつうじてバックアップしてゆく……というのが建前だった。が、その実態は、あまりにもダーティかつ利権の巣窟になったODAを、NGOを活用してイメチェンしてゆくというものだったと記憶している。ちょうど「国際ボランティア貯金」などという気持ち悪いものが出来た頃で、あーこれは貯蓄報国と同じだ〜と思ったものだ。
 で、こういう補助金にやすやすと乗っかってしまい、どーして「Non-Governmental Organizations」にしたのかわかんなくなるような団体が続出した。しかしそのなかでも、ホネのあるNGOの人たちは、「あーゆーのはODA−NGO(オダンゴ)なんですよ」と憤っていた。
 日本政府の対外援助戦略の後退と軌を一にして、90年代初頭の「国際貢献」熱もNGO熱もすっかり冷めてしまったような昨今だが、今回の事件をきっかけにして、アフガニスタン復興NGO東京会議で話題になったジャパンプラットフォームみたいな官製援助活動はいったいどーなったのか、あらためて検証される必要があるだろう。



援助貴族は貧困に巣喰う

援助貴族は貧困に巣喰う

いまやトンデモ本メーカーとなってしまったグレアム・ハンコックが、まだ「ジャーナリスト」っぽかったころに書いた本。かなり痛いエピソードの連続で、当時は面白く読んだ。が、朝日新聞社はこの本を絶版にしている。まっ、それも見識かもしれない。しかし、「World Vision」などのキリスト教右派系NGO=援助ビジネスの連中が、アフリカや中南米で「反革命の輸出」にどれだけ協力したのかを暴き出したことは、銘記されてもいいはずだ。