いまだに「公僕」とか言ってる人がいる

昨日の埼玉県知事の糞の巨塊的発言について、

国旗の前で国家を歌う事も含めて、公僕である「公立教員」の業務なわけで。
その仕事を選んだのに、思想を理由にできないというなら、他の仕事を選ぶ他ない。

とか言っている人がいるの。「公僕」観念が21世紀の日本でも息づいているのに驚いた。
いわゆる「公務員」という日本語もハテナきわまりないのだが、要するに「国家に雇われている労働者」のことでしょ?
いずれも賃金労働者にはかわりないわけじゃん。だから労働組合も当然だし、ストライキ権も認められて然るべきなわけ。
ところがマッカーサー指令「政令201号」でスト権を奪われてしまったことによって、賃金労働者としての地位と自覚がいまだに確立してないんじゃないか。逆に言えば、「公務員は公僕だ」とか言う人は、まさにマッカーサー指令の呪縛にいまだに縛られている、「戦後民主主義に洗脳された」「日本人としての誇りを失った人たち」なんじゃねーの? 例えば警察官・消防士・自衛隊っていまだに労働組合もないじゃん。
以前見た動画で、イギリスの消防士と警官隊が街頭で激突しているのをみて、いたく感心した記憶があるよ。消防士に放水すんなよ、みたいな。
日の丸君が代なんて端的だけれど、個人の思想信条に抵触する案件を「業務」として強制しても、恬として恥じない大便知事のメンタリティは、日教組の組織率の低下・弱体化という労働者の側の問題もでかいが、「おめえらにストライキなんてできっこねえだろう」という安心の上に成り立っていると思う。