青紙応召

青紙応召
前線への誉の赤紙応召と国内生産戦線への晴の白紙応召の他に青紙応召といふのが昭和十八年七月八日から新しく生れた。これは企業整備によつて浮かぶ労力に対してさきに公布された「従業者の雇入れおよび就職命令」に基づき地方長官が休廃止工場の従業に手交する青紙の“就職命令書”である。決戦下に職場の労務者が寸時といへども退職金などで徒食するなどといふ事は許されないことだが、当局の指導勧奨にどうしても応じない揚合には厚生大臣が指定する重要工揚に就職するやう地方長官が指導所長を通じてこの就職命令書を本人に手交し、指導所で係官立会の下に本人と指定工揚主との間に就職條件を決定することになつてゐる。
『大東亜時局語』朝日新聞社昭和19年

赤紙」は有名だが、「青紙」というものもあった。文中にもあるように文字通りの「就職命令書」で、「決戦下に職場の労務者が寸時といへども退職金などで徒食するなどといふ事は許されない」というのだから、戦時下に行われた企業の統廃合によって失業しても、うかうか遊んではいられないのである。
私のような一労働者としては「たまんねーよ!」と言いたいところだが、仕事がなくて困っている人の中には、天恵と受け取る人もいるだろう。しかし再就職先は本人の希望と関係なく、「厚生大臣が指定する重要工揚」に無理やり突っ込まれてしまうわけだから、『カイジ』に出てくる帝愛の地下現場みたいな《強制就職》だと覚悟したほうがよいのでしょう。
いずれにしても、決戦下日本で生み出された“ニートを許さない社会”。帝国臣民を遊ばせないために、お上はこんなことまでやってたのである。


「青紙応召」について、こんな当時の新聞記事を見つけた。

苛烈なる決戦連続の戦局に対応して政府では一段と勤労動員を強化することとなり、さきに勅令をもって労務調整令を改正したが、これに伴う施行規則を八日公布、即日実施されることとなった、これによれば近く断行される企業整備に際し政府としてはあくまで産業戦士の時局認識に訴え自ら進んで重点産業への転進を希望しているが、この政府の「指導勧奨」に応じ得ない事情にあるもののため特に「就職命令」に関する項を設け伝家の宝刀として用意する、この場合一般徴用の際はいわゆる「白紙応召」といって白紙令書を発することとなっているのに対し、就職命令の場合には青紙の「就職命令書」というのを出し厚生大臣または地方長官を通じて当事者に交附され令書中「出頭すべき場所」は徴用戦士の場合は工場であるが青紙応召の場合は指定の職業指導所となっている、この際指導所には雇入れる側の事業主も同時に出頭し指導所長と三者協議の上で賃金その他就職条件をきめることになっている。
大阪毎日新聞 昭和18年7月8日