高村光太郎のエロティック時局詩

心がすさんだときには、高村光太郎の恥ずかしい時局詩集『をぢさんの詩』(昭和18年、太陽出版社)を読んで、ほのかに赤面いたしませう。

少女に


君の断髪は君のふりむくたびに
ちよつと君の頬を払ってゆれる。
君はうるささうに頭を振る。
君はその時錦鶏鳥のやうにたのしい。
君は短いスカートの下から
驚くほど発育した脚を出す。
足くびにまくれた靴下から花梗をぬいて
君は百合科の花のやうに上に伸びる。
君は汽車にのると窓から手を出す。
山に登るといちばん高いところに立つて、
手をあげて見えないものに合図する。
君の唄は空気の温度を変へるし
君のだんまりには稲の葉の匂がする。
君の泣くのも見たけれど、
さういう涙はわたしも欲しい。
君のうしろにはいつでも守護神がついてゐて
君の眼からこつちを見てゐる。


高村光太郎をぢさん視線にゾゾゾとします。最初の2行など、何気ないふりをして凝視しているをぢさんの姿が目に浮かぶやうであります。スカートからのびた足、まくれた靴下、汽車の窓からのびた腕……ああ、たまらなくフェティッシュです。とくに最後の「さういう涙はわたしも欲しい」にいたっては、真性ロリ認定をあげたくなっちゃうほどであります。

こころに美をもつ


もんぺを穿いても君はきれいだ。
君は穿きかたを知つてゐるし、
もんぺの時はもんぺのやうに動くし、
あつかましくもないし、
いぢけてもゐないし、
何でも平気で、
よろこんで、
君の役目を立派に果たす。
君にあふと
誰でもこの世が住みよくなる、
不足をいふまに
自分自身でやる気になる。
この世に何が起らうと、
こころに美を持つ
凛々しい女性の居るかぎり
人は荒まず亡びない。
必死の時ほど美はつよく、
女性は神に近くなる。

まさに「もんぺを穿いたヴィーナス」とでも言いましょうか。高村をぢさんが、もんぺ美少女についつい発奮してしまっているやうですね。

ホントは「短いスカートの下から」のびてゐる
「驚くほど発育した脚」の方が好きなんだけれど、
時局がらもんぺしか見ない日が続くうちに、
だんだんもんぺもいいねえと、
最近をぢさんは思っているよ。
君は穿きかたを知つてゐるし、
僕は脱がせかたを知つてゐる。

――という感じでしょうか。もう最低であります。

純潔のうた


純潔をよろこび、ねがひ、
純潔であることを思ふだけでも
身のひきしまる力を感じ、
己れが純潔の身と魂とをまもることに
人知れぬたのしい心いさみを持つもの。
ああ かかる純潔の人は幸なるかな。
純潔は一切の初一歩だ。
若人よ、肉体の純潔をまもれ。
君の貴い肉体を卑しい慾に与へるな。
肉体はすなはち心だ。
ああ、純潔を思ふことのこころよさよ。
純潔をちかふ時過去は忽ち清浄となり、
未来に爽涼の風ふきわたる。
純潔ははればれしく、
純潔には向かふところ敵が無い。
若人よ、今日それをちかひたまへ。
詩人は君の一生の発足を此所にかける。
ああ、純潔はこころよきかな。
純潔は天の如く水の如く美しいかな。

出たぁ童貞・処女崇拝! 「純潔ははればれしく、純潔には向かふところ敵が無い。」これは、全国の童貞諸君に心強い声援となるに違ひありません!