無理やり「鬼畜米英」を叩き込むには

 宇野千代が編集をやっていた『女性生活』誌の昭和18年9月号に、なかなか興味深い記事が掲載されていた。
 題して「女性よ、心の底から敵愾心を奮い起こせ」。
 筆者の永戸俊雄は翻訳家・評論家で明治32年生まれ。もともと東京日々新聞の学芸部記者で、戦前にメグレ警視ものの翻訳をやっているようなハイカラな人だったわけだが、「大東亜戦争」勃発と共に中の人が交代したのであろうか。

女性よ、心の底から敵愾心を奮い起こせ
永戸俊雄


 敵米英に対するわが国民の敵愾心については、女性のみならず、男性も問題とされている。もつと敵愾心があって然るべきだと信じてゐる人々が、その不足を嘆ずることによつて問題が起って来るのである。
 この問題は、男女共通ではあるが、やはり風当りは女性の方に強い。しかるべき理由が実際にあるのだ。といふことは女性にとつて、甚だ遺憾な次第である。
 そこで、敵愾心といふものを考へてみなければならぬ。それは、わかりやすくいふなら、敵を憎む感情だ。憎敵感情である。この感情が、戦争の基本であるといつてもよかろう。これが弱ければ、戦意も闘魂も強くなる筈がないからである。だから、この感情は激情にまで昂揚されてゐなければならぬ道理であり、激しければ激しいほど、総力戦の効果は大きくなつて来るのである。
 絶対総力戦である今度の戦争、銃後も戦場といはれ、国内戦線といふ言葉も現れ、前線と銃後の区別はないと信じられるに至った今度の戦争で、国民の半分である女性の敵愾心が不足であるとしたら、これは大問題とならざるを得ない。
 それについて、私は、よく使はれてゐる思想戦といふ言葉よりも、感情戦といふ言葉を重く見る人々の意見に賛成である。何といつても、国民大衆の戦意は、複雑な理論よりも、理屈抜きの感情によって、一番早く、最も強く、昂揚するものであることが、誰にでも期待されるからである。
 ここで国民大衆といつた中には、もちろん男女双方が含まれてゐるのであるが特に女性一般は、思考力が弱い。理論的なこと、思想的なことは、大多敷の女性にとつて明かに苦手である。この事実は、女性にもつと敵愾心があつて然るべきだと信じてゐる人々の反省を要求する。
 私は、理屈抜きの感情といふことをいつた。これは、いひかへると、自然に湧いて来る感情のことだ。これが、感情として、一番強いと思ふ。あの男、この女を憎めと、理由を説明されて起つて来る憎悪感は、直接わが身にこたへて、誰に何といはれなくとも、相手を憎まずにゐられぬ感情の強き、激しきには及ぷまい。戦時の敵愾心も、これでなければならぬわけだ。
 しかし、自分の生活や運命、個人的な開係であれば、元来よほどのぼんやりでない限り、他人の説明を待つまでもなく、憎むべき相手、軽蔑すべき相手、愛すべき相手、尊敬すべき相手を自然に識別することが出来るけれども、国際関係になると、さう簡単には行かぬ。
 日本が米英に宣戦した時、なぜ、そんなにことを荒立てたのか、よくわからなかつた人もあつたであらう。殊にそれが女性には多かつたであらう。それは、誰が、どうして、この戦争の原因を作つたのか、開戦の責任はどこにあるのかを、はつきり知らぬからのことである。
 かういふことを反省すると同時に、敵米英に対して、女性が特に憎悪感を欠くとすれば、その原因は何であるかについても考へでみる必要があらう。
 「心の米英を撃滅せよ」といふ戦時標語は、男女の別なく、全国民に投げつけられたものであつたが、これは、どちらかといへば、女性を目標にしたものと解していいやうに思はれる。戦前、女性は男性よりも、米英心酔に傾いてゐたやうであり、特に米国文化にあこがれに似た心を持つてゐたやうだ。恐らく、直接には、米英映画の影響であつたであらう。今でも、米国に対して敵愾心の足りぬ女性があるなら、米国映画の余禍と知るべきであらう。
 原因をもつと遠くに求めることになると、明治以来の教育、社会思潮、外交政策が、当然議題になつて来る。しかし、この議題の内容は、歴史の上から見て、甚だ複難であり、単純に論断すべきものではないから、ここに論及することは差控へるが、今度の戦争で、女性の敵愾心不足を問題にするならぱ、この議題に照明を下すことは避けられまい。拝外感惰なるものは、女性において特に強く、無反省であるのみならず、全然反発心を欠くものさへあるからである。
 要するに、敵愾心十分ならず、従って戦意弱き女性は、自らの無知、無反省を一刻も早く悔い改むべきであり、戦意の昂揚に責任を持つ側の人々は、女性の無知、無反省を、いかにして解消すべきかその具体的な方法を考究せねばならぬ。成案を得れば、ただ声を大にして、だけでは実効は現れない
 といふことは抽象的な説教や理論的な講義によつて、女性大衆の心を動かさうとすることの徒労を意味する。女性を相手とする場合は、すべてが具体的でなけれぱ駄目だ。これは女性を指導する役割の人々に向つていふことだが、女性としては、さういふことを不名誉と痛感して今度の戦争を根本的に理解する努力をつづけねばならぬ。具体的事実の知識はもちろん必要欠くべからざるものだが、大東亜共栄圏の建設や世界新秩序の思想も、苦心惨憺して理解せねばならぬ。
(文化評論家)

 とんでもない暴論と言えばの通りなのだが、あたかも自分に言い聞かせるような哀調が行間からにじみ出ているように感じる。女性の「無知・無反省」にかこつけているが、少なくとも「感情的」にでも敵愾心を持たねばならぬ……と悲惨な決意を固めていたのは、永戸じしんではなかったか。
 永戸は「大東亜共栄圏の建設や世界新秩序の思想」を「苦心惨憺して理解せねばならぬ」と書いているが、当時の文献でこういう表現にお目にかかったのは初めてだ。「大東亜戦争」の開戦と共に、まさしく“見よ東海の空あけて〜”と、悪逆非道な米英に対する大日本帝国のアジア解放戦――といった図式は、きわめて簡略化された形で繰り替えされてきたハズ。にもかかわらずその大戦争の意義を理解するのに「苦心惨憺せねばならぬ」と書く永戸……。東京日々新聞のフランス特派員として活躍した西欧かぶれの彼にとって、「憎敵感情」の定義から文章をはじめなければならないほど、「心の米英を撃滅せよ」というスローガンは、イタかったのかもしれない。
 とはいえ彼の心中がいかほどであろうとも、上記のような悲惨な文章を書き殴った事実は消えないし、「女性よ、心の底から敵愾心を奮い起こせ」と煽った罪も消えることはない。