高村光太郎をぢさん、少女になりきる

『をぢさんの詩』(昭和18年、太陽出版社)より。

少女の思へる


今夜は少し風が出て冷えます。
今夜はさきほど録音放送で
病を押しての総理大臣の力強い
議会でなされた演説をききました。
きいてゐるうち涙が流れてきました。
わたくしはまだ女学校の生徒に過ぎず、
政治の事などよく分かりませんが、
それでもこの日本に少女と生まれた身が
今何を考へ何を為さなければいけないのか、
それが身にしみて分りました。
わたくし達民草の必ず為遂げねばならぬ
あのかがやかしい重い任務に、
わたくしも亦小さなまごころをかけて
おほけなくも参加出来ることに泣きました。
わたくしはささやかな飲食店の娘ですが
今年は女学校を卒業します。
わたくしはもう迷ひません。
今の世に生れた身の生きがひが
どんなわたくしの行く道をも美しくします。

高村をぢさんは、すつかり少女になりきって
「きいてゐるうち涙が流れてきました」なんぞと書いてゐます。
「政治の事などよく分かりません」とウブな振りをした
「ささやかな飲食店の娘」も虚構のガジェットではありますが
市井の一隅に輝く護国の乙女を想起させる、大きな効果を醸し出してゐます。
【今何を考へ何を為さなければいけないのか】
――時局に促される民草の任務が何なのかについては空白のままにして、
少女の美しい「決意の一瞬」のみを切りとろうとしてゐるのです。
きっとここに「日本精神」なるものが入り込む
情緒の空白がうみだされるのでせう。



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