武烈天皇千五百年祭 だってええ

日本にも英雄的狂王がいた。

武烈天皇 性残酷殺すことを好む。凡そ諸々の惨刑は皆な自ら臨見る。妊婦刳き其の胎を観る。宮女に馬と交わらしめ。人の指甲を脱し、其の徒手にて薯蕷を掘らしめ……また宮人と酒に沈面し、淫逆度なし」
(『訓蒙皇国史略』1873年[明治6年])

おお、和製ヘリオガバルスよ! と思わずひれ伏しそうになるが、こんな武烈天皇にひれ伏しているのは私だけではなかった。

武烈天皇千五百年祭 宮中と山陵で祭典 平成19年1月15日

 武烈天皇千五百年祭が一月九日に皇居内の賢所仮殿と奈良県香芝市の傍丘磐坏丘北陵(かたをかのいはつきのをかのきたのみささぎ)でおこなはれた。
 武烈天皇は、仁賢天皇の第一皇子で母は皇后春日大娘皇女。皇居を大和の泊瀬列宮に定められ、第二十五代の天皇として九年(西暦四九八〜五〇六)に亙って御位に即かれ、十八歳で崩御遊ばされたと伝へられる。
 賢所仮殿での「武烈天皇千五百年式年祭」の儀では、神饌・幣物がお供へされ掌典長祝詞を奏上。午前十時、天皇陛下が出御遊ばされ御拝礼になられた。
 香芝市今泉の傍丘磐坏丘北陵では、勅使参向のもと「武烈天皇山陵千五百年式年祭の儀」があり、宮内庁職員や、隣接する志都美神社の定村守人宮司など武烈天皇を偲ぶ二十五人が参列。神饌・幣物をお供へした後、唐橋在倫掌典祝詞を奏上。引き続き勅使・北島清仁掌典が玉串を奉って拝礼し御祭文を奏上。参列の人々が拝礼した。

神社新報 平成19年1月15日付記事

なんと武烈天皇から1500年とは! しかも、いまだにこんなに祀られていたとは!
――ということは継体王朝が始まってから1500年でもあるわけか。
現王朝はもっと奉祝イベントを打った方がよいのではないか? 神武起源の紀元節なんて、よその家のひとのことなんだし。