ああお母さん、日本の旗が!

「事ある毎に、渡された『日の丸』の紙旗を打ち振りつつ、喜々として群がる小学児童を見る時、我々には、思わず感激の涙さえ湧き出でる。童心にも、深く意義づけられる簡明率直な『日の丸』我等は実に良き国旗を持ったと賛嘆する。
純白の生地に、燃ゆる深紅の赤い丸。清楚で、ほとばしる熱と意気を具現し、直截簡明に表現する国民的感情、これほど表現の妙を得た偉大なる芸術は又とあろうか」

『日の丸読本』東京日々新聞社・大阪毎日新聞社 昭和12年より

日の丸を振っているのを見ると、思わず「涙がでちゃう」人が戦前にはいたようだ。これはもう病気である。「純白の生地」に「燃ゆる深紅」がそんなによいのならば、死装束で血みどろのホトケなどさぞかしありがたかろう。
この小冊子は紀元2600年をひかえて数多く出版された国体明徴ものの一冊。東京日々新聞は現在の毎日新聞の前身で、定価は30銭。全118頁にわたって、「日の丸」の由来・扱い方から、「日の丸」にまつわる愛国美談を掲載している。
明治維新の「錦の御旗」から日清・日露そして満州事変まで、「日の丸」「軍艦旗」「連隊旗」など、とにかく「旗」を守るために兵隊さんがどれほど命をかけてきたのかを、数え切れないほど些細なエピソードをくりだしてえんえんと説教する。
たとえば、上海事変当時、海軍陸戦隊がやってきたのを見た残留邦人の「感激」を、当時の小学生が作文に綴っている――と紹介されている

「ああお母さん、日本の旗が」
「三千雄、もう大丈夫です」
「大丈夫ですとも、お母さん」
僕は涙がこみ上げてきて、日章旗が見えなくなった。救われた嬉しさの涙ではない、たとひこれから、どんな支那兵に苦しまされようとも、この日章旗となら、苦しまう。日の丸の旗の下で死なう、さう思った時に日本人だけの味ふことの出来る涙だったのだ。


――そもそも母子の会話がクサすぎるので、ほぼ創作ではないかと思われる。それにしても、かなーりマゾヒスティックな涙ですな……。

また銃後でも「日の丸」にまつわるこんな悲劇があったそうだ。

昭和11年2月11日……午前7時頃芝区高輪北町付近で品川を発した浅草行きの市営バスが疾駆してゐる時、前方に掲げた国旗が道に落ちたのを女車掌梅澤ユキ子さん(20)が矢庭に飛降りてそれを拾はうとするととたんに反対側から疾走して来たトラックに刎ね飛ばされ頭部を強打されて遂に死亡した痛ましい事件があった。」
「それが一度新聞紙上に報ぜられると皇道詩吟之会師範本山賢一氏はこれを詩に、又旭潮会の荒巻輝鳳氏はこれを琵琶歌に織り込んでその美事を讃え……国旗博士と云はるる松波博士も黙してゐやう筈はなく、博士は自ら筆を執って「日の丸美談」のシナリオを作り大阪の教育映画製作所に依頼して16ミリ映画を作り永遠にその行為は銀幕に残されたのであった。これこそ平時の市井に死守された国旗美談と云ふべきである」


――前半の事件はまさしく悲劇だが、後半はこんなバカどもによって「美談」が製造されるのかということがよくわかる。何だよ、「国旗博士」ってーのは。ある女性車掌個人の死が「日の丸美談」とされ、国家の「物語」に編み込まれてゆくこの恐ろしさを見よ!