ブラジル勝ち組レコード屋の、不思議なレコード

 ブラジル勝ち組機関誌『輝号』(復刻版、不二出版、2012年)を読んでいて、妙なことに気がついた。
 同誌、昭和26〔1951〕年7月号から昭和28〔1953〕年2月号(=終刊号)まで、奥付横のページに、サンパウロにあった「遠藤兄弟商会」というレコード屋が、毎月の「新譜」広告を出している。しかしその中に、どう考えても戦後のレコードではないものが混じっているのである。
 一番わかりやすいのが、昭和27〔1952〕年8月号のこの広告だ。

 「8月発売傑作盤」と銘打たれた「新譜」の、キングレコードのコーナーを見て欲しい。レコード番号2808に『紀元二千六百年』(A面:永田絃二郎&長門美保、B面:キング管弦楽団)が載っているのである。が、サンフランシスコ講和条約発効後であるとしても、『紀元二千六百年』なんて奉祝国民歌をキングレコードが再発するだろうか?
 キングレコードの1953年の目録を調べてみたが、この時点で同曲再プレスの記録はない。キングレコード版の奉祝歌『紀元二千六百年』は1940年2月発売で、永田絃二郎&長門美保によるデュエット。クレジットはオリジナルと同じだ(B面はキング管弦楽団のインストロメンタル?)。

 この『紀元二千六百年』だけでなく、キングレコードのコーナーだけみても、恐ろしく珍妙なのである。
 『輝号』広告でのレコード番号2806『A:ひよつとこ飛脚 B:赤城月夜』では、『ひよつとこ飛脚』は1951年12月発売(レコード番号C763)でたしかに戦後の曲なのだが、日本盤のカップリング曲は若原一郎『江戸っ子晴姿』である。しかし、この広告でB面に収められている『赤城月夜』は1938年4月発売の曲なのだ。
 同じくレコード番号2807『A:ハルビン夜曲 B:吹雪』では、ハルビン夜曲』松島詩子)は1938年12月発売の戦前の曲。1938年版のB面は林伊佐緒の『南京波止場』だが、ブラジル版のB面は『吹雪』(児玉好雄)となっている。この『吹雪』は1939年2月発売のものだ。いずれも、A面とB面がズレているのである。
他方、レコード番号2809『家庭教室』(漫才、アザブラブ・アザブ伸)は1940年1月のキングレコード目録に載っていた(レコード番号301044、発売年月日はわからなかった)。


 いずれも戦後のキングレコードの目録には存在していないレコードなのである。


 戦前日本のレコードを、カップリングがメチャクチャなかたちで、ブラジル勝ち組のレコード屋が出していた――これはどういうことなのか。


 レコード業界の事情にはまったく詳らかではないのだが、「ブラジル盤」と呼ばれる一群のレコードがあるようだ。
 細川周平氏「戦前ブラジルの日系レコード産業」(小島・藤井編『日本の音の文化』第一書房、1994年)によれば、1936年に日本コロムビア現地法人をブラジルに設立し、原盤を輸出してブラジルでプレスしていたという。しかし細川論文では、ブラジルでプレスしていたのはコロムビアだけで、「ポリドールやテイチクは代理店を出したがプレスまではやらなかった」とある。
 日本コロムビアのレコードならばともかく、ブラジル版キングレコード『紀元二千六百年』は、戦前に輸出された原盤を元にブラジル現地で再発されたもの――と考えるのには無理がありそうだ。
 そうすると――


(1)まったくの海賊版。しかも原盤からの複製ではない:カップリングがメチャクチャな曲


(2)戦前の日本輸入盤デッドストックを「新発売」と銘打って再販:そんなにストックがあったようにも思えない。


(3)遠藤兄弟商会は広告で「ポリドール・レコード、キング・レコード、テイチク・レコード、伯国総代理店」と謳っているから、一応「ブラジル編集盤」の許可を日本本国からとりつけて、制作・発売した。:この線はほぼ無いと思われる。「総代理店」の看板もホントかどうか不明。


――の3つの可能性が考えられる。私の能力ではこれ以上のことはわからないので、どなたか詳しい方のご教示を待ちたい。

 遠藤兄弟商会の広告では、戦時歌謡の「新発売」は戦後曲に混ぜられて毎月行われていたことから見て、これはやはり「戦争に勝った日本」「未だ意気軒昂な軍国日本」の虚像を描き出すための、勝ち組レコード屋としての演出だったのではないだろうか。
 戦争の影を帯びていない平和な戦後の流行歌と、戦時歌謡が共存することは、「日本が勝って戦争は終わった。日本は勝った勝ったと威張っていないだけ」「戦争に負けたのならば国体が護持されているわけがない」という勝ち組神話のストーリーとも矛盾しないのである。
 勝ち組の臣道連盟が当時の日系人社会に流布した「ミズーリ艦上にひるがえる日の丸」のコラ写真や捏造「ラジオニュース」の数々を思えば、海賊版レコードをせっせとつくることなど、そんなに飛躍があったことではなかろう。まさにこの一群の遠藤兄弟商会のレコード広告は、ブラジル「勝ち組」コミュニティにおける、【レコードによって戦われた思想戦】だったのではないだろうか。