[メモ]『市川房枝と「大東亜戦争」』と「告発型」

 進藤久美子氏の『市川房枝と「大東亜戦争」』(法政大学出版局、2014年)を落掌。高かったががんばって購入。

 その「序章」で進藤氏は「前向きの歴史解釈に向けて」として次のように書いている。
 まず上野千鶴子氏の『ナショナリズムジェンダー』における鈴木裕子氏への批判を以下のように要約する。

「たとえば上野は言う。戦前天皇制は絶対的に正しい価値であった。天皇制を悪とする価値は戦後つくられたもの、つまり歴史的に形成されたものである。明治以来の近代化の過程で、国民国家を確立することが最大の課題であった時代を生きた人物に、その「天皇制」国民国家を超えることができなかった、つまり「歴史的限界を乗り超えられなかった」ことを批判するのは、「歴史家としては不当な『断罪』ではないだろうか」。

簡潔に要領よくまとめてある。このまとめに続いて、進藤氏は次のように提起する。

「婦選運動家市川の戦時期活動の意味を問うとき、はたしてどのような視角から見た時、歴史家の「後知恵」としての「告発型」ではなく、未来に向かつてポジティブなかたちで、その戦争協力を読み解くことができるのだろうか」(19-20頁)

 上野の鈴木批判にはらまれた歪みが拡大されている感がある。
 疑問は、「戦前天皇制は絶対的に正しい価値であった。天皇制を悪とする価値は戦後つくられたもの、つまり歴史的に形成されたものである」というのはホントなのかという1点に尽きる。すでに「天皇制打倒」を掲げた日本共産党(非合法)の存在もそのイデオロギーも、無産婦人団体との共闘を追求した婦選同盟の市川が知らなかったワケがない。
 「天皇制打倒」の思想は同時代的に厳然として存在した思潮なのであって、「天皇制を悪とする価値は戦後つくられたもの」とは必ずしも言えないのでは。当時の先鋭的な運動家であった市川自身が「天皇制を悪とする価値」を選択しなかった――婦選獲得運動の戦略的・戦術的判断として。(このあたりの市川自身の戦略的構想が、のちに国民精神総動員中央連盟の委員として総力戦体制に食い込んでいくつまづきの石となったのではないか、というのが本書を読む前の私の仮説)――という問題であって、その選択を問うことが「歴史家の「後知恵」」「告発型」*などとされるのはどうにも納得がいかないわけなのですよ……。

*上野によるこのへんのレッテルは、90年代中盤に流行したセンスだと感じる。