北原白秋、紀元二六〇〇年前後の作品集


墨水書房、昭和18年


 古本屋で異常に遭遇回数の多いエッセイ集『随筆たぬき汁』を出していた墨水書房が、北原白秋の作品集を出していた。写真にあるように、『白秋I』とあるが、続刊は出なかったようだ。この作品集は、昭和8年から「北秋全集」構想の一環としてまとめられていた年纂全集『全貌』が昭和14年の巻で途絶えてしまったため、その続き(昭和15年)を墨水書房がひきうけて出したもの。ところがすでに敗色濃い戦局の下、続刊を出すことはできなかった模様だ。
 本巻は紀元二六〇〇年祭前後の白秋作品を集めたもので、以前紹介した『大東亜戦争 少国民詩集』(朝日新聞社、昭和17年)に比べて、かの式典がらみの奉頌歌をはじめ、その頃の詩、短歌、童謡、歌謡を集めた一冊で、趣味者としては激しいおトク感がある。
 もちろん、白秋全集をひもとけばいくらでも拾えるのではあるが、同時代的にこんなかたちでコンパクトに戦時「やっちまった」作品集がまとめられていたことがわかる興味深い一冊である。

 白秋による紀元二六〇〇年関係の作品は膨大で、またその多くが放送局や団体、また各地方の奉祝会などからの委嘱作品であったことから、「わぁ!白秋先生のほとばしる愛国精神すげえ」と単純に感心するわけにもいかない。やはりそれぞれの作品内容の何パーセントかは商売で成り立っているはずで、ちょいとそのへんは割り引いて見る必要があることは、あえて言うまでもない。
 それにしても膨大にあるので、タイトルを抜書きするだけでも億劫である。いずれ委嘱元との関係を整理して一覧表にでもまとめようと思う。白秋と紀元二六〇〇年祭との関係については先行研究があるはずなのだが、ちょっとCiNiiを検索しただけではひっかかってこなかった。これもまた今後の課題としよう。

 で、この本で笑ったのが、白秋が委嘱された社歌や校歌の類を集めたコーナー。

九大医学部歯科口腔外科教室歌

炬火をかかげ
高く立つもの、
今知らむ天の理法
人体に満ちて隠るを。
医はこれ玄々、すなはち実学
窮めて臻らば済生成すべし。
 九大、九大
 世界のその名と
 輝けこの歯科、
 見よ我が教室、新人群れたり。
 口腔外科、口腔外科、
  口腔外科、フレー

「口腔外科、口腔外科、口腔外科、フレー」というつらいフレーズに、白秋先生の苦吟の様を思い浮かべます。

岡政デパート社歌

風にかがやく屋上旗
空あり、見よや、このカネヲ(*岡正デパートの屋号、カネにヲ)
海港潮あざやかに
日に日に栄もたらせば
時代の文化魁けて
長崎今に人新た
 柳に添えよ市の幸、
 商業報告報国、我れ往かん。

「商業報国」というのは、デパート・個人商店をとわず小売業界で掲げられたスローガンで、当時の業界専門誌『商店街』などでは毎号のように表紙に刷り込まれていた。この「岡政デパート」の社歌、一目瞭然あまりにも内容が、ない。最後に時局用語で締めたようだが、「長崎」「デパート」「屋上に旗がたってる」くらいの資料ででっち上げられたのではなかろうか。デパート社歌研究者の方のご教示を待ちたいところである。


このあたりの領域は、驚異のサイト「西洋軍歌蒐集館」の管理人さんが詳しいはず、ぜひリンク先をご覧になってみてはいかがだろうか。


世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代

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