ラジオ体操で戦勝祈願


『体育日本』昭和19年8月号 大日本体育会発行



昭和19年、夏。すでにサイパンが陥落し、本土空襲必至の敗色濃い中で、大日本体育会発行の『体育日本』昭和19年8月号では、巻頭に「決戦下国民体育の指導」(吉田清)なる論文を掲載し、この夏の日本国民にふさわしい身体鍛錬はいかにあるべきかを論じている。

すでにラジオ体操は、8月1日から始まる鍛錬強調週間で地域の必須行事として位置づけられ、国民学校生徒はもちろん、地域社会のほとんどの少年青年壮年おまけに老年が参加する一大国民行事となっていたらしい。しかし、この非常時に、単なるラジオ体操でよいのか! と筆者は一喝している。

我々は決戦下に於て、第一に祈念することは戦に勝つことである。米英の醜敵を撃攘、攘滅せしめることである。近接しつつある敵を撃攘し、神国の尊厳を世界に現示しなければならぬ。勿論、之には単に我国の神性にのみ依存してはならぬ。神威を顕揚するには、全国民が至純至誠、滅私報国の精神に燃えねばならぬことは申す迄もない。

このあたりは、当時の決まり文句的枕詞みたいなもので、神威がどうしたこうしたと勢いはあるものの、言っていることはまったく無内容に等しい。しかし、こういう枕詞に続く具体的指針は、めちゃくちゃくだらないものが多いというのが一般的な傾向。これはある意味「フラグ」なわけですね。

そこでこうした必勝信念を堅持する為、此の夏のラジオ体操による心身鍛練に於て、体操実施前神霊祈念を行ふことを行事の中に加へることにした。……全国民もこれに準ひ氏神の社頭や広場に於て戦勝記念、一億必勝の信念堅持の誓詞を神前に誓って、心身の鍛練に邁進しようと言ふのである。

だいたい地域の広場といえば神社の社頭とかが多かったから、みんなが集まるラジオ体操と戦勝祈念を合体させちゃえばいいんじゃないかと思いついたのだろうが、いささかドヤ顔でその意義を力説する身振りには辟易する。もちろん、ここまで神がかりになるのも、やっべー戦況マジでやべーよという焦りに満ちた戦意高揚策だからなのだが、この指示を受け取る国民大衆にとっても、お上の焦燥はびんびんに伝わったはずだ。
そのせいか、筆者はこんな余計な但し書きまでつけていた。

神に恃んで心を弛めては何にもならぬ。否、むしろ害がある。神に誓った気持ちを以つて自分の職場に邁進しなければならぬ。朝に誓つた精神と溌剌たる身体とを以て持場々々の仕事に邁進し、生産増強に励むことが今夏心身鍛練の一つの方途である。