事変下の年賀状@皇紀2600年


御稜威輝く皇紀二千六百年の
新春を迎へご武運長久を
心からお祈り申し上げます



←『主婦之友』昭和15年1月号「事変下年賀状の書き方」より

今年の年賀状には、何はあれ、国威宣揚、国運隆昌の寿ぎを忘れないやうにしたいと思ひます。聖戦正に第四年に入る年頭であり、同時に、待ちに待ちました皇紀二千六百年の新春でもあります。日出づる国の彌栄を心から祝はずにはゐられません。

婦人雑誌の年賀状の書き方コーナーはたいして珍しくもないものだが、年賀状の内容まで「国威宣揚、国運隆昌の寿ぎを忘れないやうに」時局にふさわしいものを、という記事のトーンには驚く。こうした時局年賀状は、何も『主婦之友』編集部がひねりだしたものではなく、政府が大々的に奨励したものであった。

戦地の方へ出しますには、第一に勇敢を感謝して武運長久を祈ると共に、知人ならば、留守宅、郷里の様子など、知らぬ人ならば、内地の模様などを書いて上げますと、どんなに喜ばれるか知りません。今年は、政府も、年賀状は戦地へ! を標語として奨励してをりますゆゑ、知る、知らぬを問はず、出して上げたいものです。

……と、積極的に慰問年賀状を奨励している。
が、しかし、昭和15年の暮れになると、年賀状をとりまく情勢は一変する。

1940(昭和15)年には、年賀郵便の特別取扱も「当面の間」中止ということになり、翌1941(昭和16)年の太平洋戦争突入以降は、さらに自粛の声が高まり、逓信省自らが「お互に年賀状はよしませう」と自粛を呼びかけるポスターを掲げます。終戦の年、1945(昭和20)年の正月には、どの家にも、年賀状はほとんど届いていませんでした。
年賀状博物館の記事より引用

この「年賀郵便特別取扱停止」は閣議決定のようだが、どうもウラがとれない。国会図書館閣議決定一覧にも載っていなかった。もしかすると、大政翼賛会の国民生活指導部あたりが言い出しっぺなのかもしれない。
で、国立公文書館で「週報」にこんな記事があることがわかった。

歳末!! 事変第四年を頑張り抜かう

 百二十億貯蓄の達成
 贈答、回礼、年賀状の廃止
 門松は質素に、美俗は尊重
 健全娯楽と心身鍛練
 戦地へ慰問文と慰問袋を
 誉れの家を援護せよ

ほとんど「クリスマス中止」的な雰囲気だが、みんな真面目にお上の言うことを聞いていたのだろうか。