大東亜戦下の婦人髪型

『主婦之友』昭和17年10月号に、こんな募集広告が掲載されていた。


堅実で優美な髪型を御工夫ください
凛々しく、しかも美しく! 時局の精神を生かした髪型を!

婦人の生活のあらゆる面が、日に逞しく強く、国家目的に副つて積極的に変へられてゆく今日、髪型のみに、相変らず米英模倣らしいものが見られるのは、世の識者の憂ふるところであります。伝統の黒髪の美しさを生かした、大東亜戦下の日本婦人にぴつたりと似合はしい髪型を御考案のうえ、奮つて御応募くださいませ。

昭和15年頃から終戦までの『主婦之友』『婦人倶楽部』などメジャーな婦人雑誌を見る限り、ハイソ女性むけ『婦人画報』を除いて、ヘアズタイルについての記事が極めて乏しいことに驚く。
これは現在ほど女性の髪型がカタログ的に商品化されていなかったからなのか、それとも映画や女優ブロマイドなどをつうじて髪型の流行が伝達されていたため雑誌媒体ではそれほど重んじられなかったからなのか、どちらかなのだろう。
パーマネントはやめませう」という恐るべき標語が登場したのは昭和15(1940)年だけれども、『写真週報』や大日本婦人会の奢侈贅沢追放キャンペーンに端的なように、戦争末期までパーマネント女性はいたようなので、髪型のモードが死に絶えたというわけではさらさらなかったようだ。
米英模倣」系婦人ヘアスタイルは、「大東亜戦争」開戦一年にもなろうとしている中にあっても厳然と存在していたことを上記の広告は浮き彫りにしているが、そうであるからこそ、「時局にふさわしい」流行を人為的に創出しようとしたのであろう。
大東亜戦下の日本婦人にぴつたりと似合はしい髪型」と惹句にあるため、ついつい女性の勤労動員にふさわしい活動的なものが求められていたかのように受け取ってしまうが、婦人の徴用はすでに部分的には始まっていたとはいえ、昭和18年9月の男子就業禁止職種の指定と、女子勤労隊の編制によって婦女子の戦時動員は全面化・本格化するので、昭和17年10月の段階ではまだまだ「時局にふさわしい髪型」とはプロパガンダ、もしくは模範日本女性像の提示というイデオロギー的要素が強かったと推測される。

で、この「時局髪型募集」だが、日本婦人にふさわしくということで頭頂部に日の丸を立てたり、はたまたおすべらかしを復活させたりと楽しいバリエーションが思い浮かぶのだが、

▲活動的で、結髪に手数のかからぬことを条件といたします。
▲単なる思ひつきでなく、必ず自分で工夫し、人にも試した、実験ずみのものを御応募ください。
▲結方の説明書と共に、なるべく写真を、なければ解り易い絵をお添えください。

――と、厳しい審査基準が提示されており、さすがに「MAX盛り」みたいなトンデモなものはダメだった模様である。
この髪型コンテストの結果発表が、『主婦之友』昭和18年1月号に載っていた。(つづく)