「公僕」思想の起源

いやー、勉強になった。『日本国家科学大系』第五巻「法律学(一)」所収の牧健二著「日本固有法論」を読みましたですよ。「公僕」の意味がやっとわかった。「公共の僕・国民の僕」と理解するのは全くの間違い。歪んだ戦後教育の賜物w。
簡単にまとめると、牧健二は次のように言う。

天皇は古代においてはオホヤケと尊称されていた。
天皇は即ち国家であるとする思想は、オホヤケなる国語を媒介として発展した。つまり、天皇=オホヤケ=国家のことである。
・日本国家の本質は日本の国体であり、従って日本国家の機構は家的機構であり、国家生活の精神はオホヤケの精神である。
・日本は、国体的にはオホヤケの家、即ち公的家を形成すべきであるという規範が国体の中に含まれているのである。(この辺、すげえ論理の飛躍がある。)

ということで、公僕の「公」とは天皇のこと。で、この家的国家における行政に携わる人間は――

民に家長たり父母たる君主に官吏が奉仕して、家長たり父母たるの政治を補翼することが大切である。故に(日本固有法体系においては)官吏法が重要性を有したのである。

――とある。「公僕」とはあくまでも「天皇の僕」なんですね。で、国家の「公」的性格というものは、戦前の国体学・国家学においては、〈天皇=オホヤケ=国家〉なわけでありますから、「公的」とか「公共的」とかいう言葉が、戦後的常識と大きく違う。「公」なるものとはかような源を持つのだということに驚いたのであります。なんと私は無知であったのか。昔の方が、国家権力の性格がシンプルかつ明瞭であったわけですね。