英語は日本語である

「英語学習上の心得」佐藤正治東京文理科大学講師) 『学生』昭和18年11月号掲載 研究社刊

「英語は日本語である」?? 戦後GHQ占領下で、こうした珍論をとなえた人がいたらしいが、この命題はれっきとした「大東亜戦争」激化のさなかの文章だ。それにしても、ものすごい命題を出してきたものだと呆れるが、記事をよく読んでみるとなかなかに帝国主義の香り高いトンデモ名文である。

英語は日本語である。わが大日本帝国の勢力圏内に於いて通用する英語は、明かに日本語の一方言なのである。随って我等は今日以後、国語の一部として英語を当然学習すべきである。

なるほどお。大東亜共栄圏内で通用する言語は「日本語の一方言」という恐ろしく牽強付会なご高説には恐れ入る。おお、なんとわが皇国の懐は広いのであろうか!

英語学習に対する態度の此の画期的大変化こそは、正に大東亜戦争の賜物であって、我等外国語の研究を以て一意国家に御奉公申上げている者に取りて眞に有難き天来の福音と言はねばならぬ。

自説を自分で「福音」と呼んでいるのだから、かなりの大人物だ。もちろん、「英語=日本語の一方言」説を「福音」としてありがたがるのも無理はない話で、当時の英語教育者にとっては、鬼畜米英の国家的スローガンの下、さぞかし肩身の狭い思いをしたのであろうことは想像に難くない。じっさい上記の文につづけて――

然るに猶ほ「敵性語」なるが故を以て英語を排撃せんとする者が世上に跡を絶たないのは、国家のため憂ふべき現象と言はざるを得ない。

とあるように、英語排斥論者に対抗するためには、偏頗な言語国粋主義を超える・「大東亜共栄圏」にふさわしい帝国主義グローバリズムの論理で対抗するほかなかったのであろう。

われ等は拡大せられたる新国土経営のためにも、八紘為宇の大神武精神を昂揚すべきである。余の見る所を以てすれば、英語は本より、仏・独・伊・蘭・華・蘇・西・葡・泰・緬・印等々の諸国語は、悉くこれ日本語の方言であり、われ等日本人は当然これを学習すべき必要と義務とを有するものであることをば、肝に銘じて夢々忘れてならないのである。

ぐおお! 世界の諸言語の殆どは「日本語の方言」と化した! 恐るべし「大東亜共栄圏」! ――当時のオカルト新興宗教系では「日本語が世界の諸言語の大本であった」なる怪説が乱舞していたような時代状況であった……とはいえ、この英語のセンセイはまったく別の角度から、すべてを「日本語」にしてしまったのだからスゴイ。「八紘為宇」イデオロギーの日本的無節操には本当に驚かされる。

余は今わが国運を推進すべき立場にある青少年諸君に対して、是非ともこれだけの事は言って置きたい。
「英語は日本語だ。躊躇せずに学習せよ」。

……参りました。