「日本語でおk」ってなんかイヤな言葉だな――「国語全解運動」

1941年に太平洋戦争に突入したのをうけて、「内鮮一体」を進るために生活の場においても国語常用運動がすすめられた。また、すでに1938年には陸軍特別志願令が公布されていたが、さらにきたるべき徴兵制実施に備えて、国民学校未終了の男子に日本語を修得させるための朝鮮青年特別鍬成所が1941年に開かれた。さらに、1942年5月には国語普及運動、1944年8月には「徴兵制実施に伴う国語全解運動」が行なわれた。そして、1945年8月15日に日本が敗戦を迎えるまで日本語は「国語」として扱われたのである。

日本語教育史への新たな視点――日本統治期朝鮮における大衆歌謡を手がかりに 佐藤結(姫路独協大学大学院)

個人的には、高校の日本語学級に通っていたころに、不動産屋とかバイト先のおっさんとかに投げつけられた「日本語OKヨ」とか「日本語でしゃべれよ」とかといった憎悪に満ちたコトバを思い出して、非常にイヤな気持になります。私のばあいは自分の意志でその言語を習得しようとしたのだから、植民地の言語政治とは比較になりませんが。
支配者の言語を権力によって強制される・しかも侮辱と屈従を強いられながら――という情況は、私のささやかな想像力を超えるイヤさなのでしょうね。



海を渡った日本語―植民地の「国語」の時間

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戦時中の話しことば

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植民地のなかの「国語学」―時枝誠記と京城帝国大学をめぐって

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統合原理としての国語 近代日本言語史再考 (3)

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日本語はだれのものか (歴史文化ライブラリー)

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