決戦へ人馬一如のご奉公
戦時下の競馬史については明るくないのですが、これまで何度か引用した萩野寛雄 「「日本型収益事業」の形成過程 :日本競馬事業史を通じて」第5章「競馬事業に見る戦時体制」 によれば、昭和18年12月の閣議で競馬中止が決定され、以降、東京と京都でのみ「能力検定競争」として細々と続けられたようです。上掲の競馬番組の告知は昭和18年12月分までですから、最後の競馬広告となったのでしょう。
それにしても、「決戦へ人馬一如のご奉公」とは、戦時下の競馬を正当化するためのスローガンとしてはなかなかよくできたものです。ギャンブルではなく「奉公」なのであるという押し出しは、現代にも通じるものがありますね。