臨時大東亜ファッショ聯盟結成のお知らせ

臨時大東亜フアシヨ聯盟結成 
 伊太利フアシスト共和国の在本邦ファシスト党支部の設立再建の取扱ひに関しては新政府をして帝国と協議の上措置せしむべきことは十月五日大本営政府連絡会議に於て決定を見たるところなるが、同月二十六日プリンチピー二陸軍大佐駐日伊太利利益代表として着任以來新政府の駐日外交機関整備並雄在本邦フアシスト党支部の再建に奔走し既に東京及神戸に之が組織を見新政府は将来その施政方針を党活動と表裏一体的関連の下に行ふ趣なるところ本邦に於ける之が党指導の中枢たるプリンチピー二大佐は今回本国外務省の電命により客年十二月一日より駐日元伊大使館内に「臨時大東亜フアツショ聯盟」を設立し自ら其の書記長に就任せり。
 而して本聯盟は大東亜に於けるフアシスト運動を育成、調整、監督するの目的を以て之が指導を東京に集中せしめんとするものにして書記長プリンチピー二大佐は十二月六日北京、上海、マニラ、西貢、スラバヤ、盤谷の各支部長宛其の支部長名及党員数の報告方電命し更に今月十七日之が趣旨書を前記各支部へ発送したり。
 本聯盟に封しては静観的態度を以て望む方針なるも在本邦支部及党員の活動に関しては引続き厳重なる観察を要するものと認めらる。

『外事月報』昭和18年12月号


 このプリンチピーニ陸軍大佐、検索すると、こんな文書が出てきた。この本は Marino Vigano, Il Ministero degli affari esteri e le relazioni internazionali della Repubblica Sociale Italiana 1943-1945., Milano: Jaca Book, 1991.日本題にすると『イタリア社会共和国における外務省と国際関係』とでも訳せるのだろうか(千葉大学に1冊あるみたいだ)。
 イタリア語はからきしなのだけれど、なんとなく字面を読んでいると、1943年の9月以降、件のプリンチピーニ大佐を筆頭として在日イタリア利益代表部の再建が、本国の指令との関係でどのように行われたのかが紹介してあるように思う。
 1943年9月に重光葵がどうしたと書かれていると思うのだが、それはイタリア語が読める方にご教示していただくとして、問題はベルトーニ一家のゆくえである。

 リンクしたGoogle Bookの表示だと、日付からみてイタリア大使館員が抑留されてしまうちょっと前あたりから話が始まっている(くらいしかわかりません)のだが、この2〜3ページ前の部分が見れない。プリンチピーニは陸軍大佐だったそうで、ベルトーニ陸軍中佐の上司にあたるはず。とすると何らかの言及があるかもしれない。このMarino Vigano氏に連絡が取れれば、ベルトーニ一家の去就がわかるかもしれないのだが、語学のカベが立ちはだかってここで挫折している。 
 ちなみに国会図書館には、オメロ・プリンチピーニ著『トブルク戦について』(イタリヤ大使館情報官室、昭和17年)がマイクロで収められていた。ベルトーニ陸軍中佐もバドリオの『エティオピア戦役』を翻訳しているから、イタリア大使館駐在武官のみなさんは「弱いイタリア軍」の汚名を晴らそうと(?)、軍事方面の啓蒙著作活動にいそしんでいたのだろうか。



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