決戦下の競馬ファン

駄文の原稿を書いていて、『週報』でこんなアホ投書を見つけた。

眼鏡は兵器なり昭和18年5月5日号)
先日、郊外電車に乗りましたところ、多数の紳士が申し合わせたように、胸に立派な双眼鏡をぶら下げていました。
多分、競馬の帰りと思われましたが、前線の勇士にとって、また国土防衛の監視哨員にとって、必需品の眼鏡がこのように自分一個の趣味のために使われていることは、まことに遺憾です。適当な機関を動員して眼鏡献納運動を起したら結構かと思います。(京都小西生)

 「大東亜戦争」開戦後も競馬レースは平気で開催されており、最終的に廃止されたのは昭和18年12月の閣議決定によってである。当時の競馬は単なる大衆娯楽ではなく、軍用馬匹の改良を大義名分に、陸軍の厚い保護下にあった。そのへんの事情は、萩野寛雄氏の論文「「日本型収益事業」の形成過程 :日本競馬事業史を通じて」第七章「競馬事業に見る戦時体制」に詳しい。以前、戦争末期の中山競馬場の「番組表」を古書店で見かけたが、そのころはまだ競馬はフィールドに入っていなかったのでまんまと見逃してしまった。かえすがえすも残念だ……。
 ともあれ、当時の競馬ファンが、行き帰りの電車の中で誇らしげに双眼鏡を首からぶら下げていたのは初めて知ったが、決戦下の庶民としては大変に妬ましい光景であったに違いない。案の定、そうした競馬紳士たちのスタイルが『週報』投書欄でやり玉に挙げられてしまったわけだが、「前線の勇士にとって、また国土防衛の監視哨員にとって、必需品の眼鏡がこのように自分一個の趣味のために使われていることは、まことに遺憾です」などというのは屁理屈の極致であって、冷静に考えれば何が「遺憾」なのかさっぱりわからない。とにかく少しでもカッコつけている人、つまり当局が推奨する〈決戦下のまじめな国民〉像からはみ出している人――たとえそれが国家によって奨励されている「競馬」のファンであっても――に対しては、あらゆる口実をつけて叩くという風潮が広がっていたことが、「通風塔」の投書群から読み取ることが出来るだろう。