戦争とお菓子(2) 慰問袋にお菓子ドッサリ

血相変えた編集長の絶叫が、グラビアページでは一転、にこやかな“お菓子屋さん”風の笑顔で、菓子報国を謳歌するのだからたまらない。

皇軍兵士よ心安かれ 慰問袋にお菓子をドッサリ

……何だかなあ、である。コピーも秀逸で、

兵隊さんの楽しい憩ひのひととき お菓子の用意はよいか

と来たもんだ。ふーん、菓子報国とは、こうゆうことなのね。


慰問袋用として紹介されているお菓子は、甘納豆、ボーロ、牛皮飴、金華糖、金平糖、氷砂糖、缶詰ゆであづき、羊羹、懐中お汁粉などなど、昔懐かしい品目が並ぶ。現在では乳幼児用と思われているボーロを、兵隊さんも食べていたとは知らなかった。
ちなみに、この「ボーロ」、銀座風月堂の門林彌太郎の証言によれば、語源はポルトガル語のboloだが、日露戦争では商品名も「亡露」にあらためられて、軍用携行食として採用されたそうだ。
それはさておき、こうした品目がいちいち紹介されているのは、各菓子店が独自の慰問袋セットをあつらえる際の参考用だろう。実際、同誌の記事によれば、明治製菓は慰問袋詰め合わせお菓子セットを開発・発売しており、

アリメント昭和10年発売の育児用ビスケットと呼ばれるお菓子)
一里玉(マーブルキャンディー。大変堅く、一里歩く間にも口の中にある……から一里玉)
ドロップ
ストロベリージャム(写真で見ると、どうやら缶入りのものであったようだ)
ゼリー飴
カルミン(今も売っている大正10年発売のロングセラーお菓子。カルシウム入りのミント錠菓)

――などが、一袋にまとめられていたようだ。

慰問袋は当時の菓子業界にとって大きな市場であったに違いない。そもそも慰問袋は、銃後の女性や子どもたちが手作りの品を詰めるものかと思っていたが、できあいの「慰問袋」セットを購入するむきも多かったらしく、各百貨店ではオリジナル慰問袋を作って売っていた。
ご丁寧なことに「製菓実験」誌では、全国の有名デパートで、どんなお菓子を慰問袋に詰めているのかのアンケートまでとっている。

三越本店(東京日本橋
氷砂糖/ゆであづき/ドロツプス
松坂屋(東京上野)
松坂屋ドロツプス(缶入)/練羊羹
伊勢丹(東京新宿)
黒飴/氷砂糖/あられ
●南海高島屋大阪市南区難波)
缶入粟おこし/缶入フルーツドロツプ/缶入氷砂糖
●阪急百貨店(大阪梅田)
阪急ドロツプス/明治ドロツプス/缶入粟おこし
●玉屋デパート(福岡市東中州)
博多銘菓「玉錦」/チョコレート羊羹/森永ドロツプス/氷砂糖

……と、どこも似たようなものだが、ひと味違うのが北海道の老舗デパート五番館(現在は札幌西武)。特製昆布菓子「後志の香」/道産バター使用「バター飴」 など、

慰問用菓子には特に郷土兵士に親しみ深い郷土制作を主題に御奨め致し居候

というのだから泣かせる。

ともあれ、こんな慰問袋ばかりが届くとすっかり虫歯になってしまいそうであるが、実はこの慰問袋、ぬかりなく北支現地住民の宣撫工作用にも使用されていたようで、グラビアにはこんな写真も載っている。

文字通り飴と鞭の「飴」部分を見る思いがする。