戦争とお菓子(3) 菓子と国防

こうした菓子報国を遂行するに当たって、どうしても避けて通れないのが「商売と戦争をどうつなげるか」という問題であった。
すでに高度国防国家建設が叫ばれ、戦時食糧体制の大まかな構想が軍部において練り上げられつつある中では、菓子店の未来は暗かった。同誌掲載の「戦争と菓子店の問題」(編集部関口道一筆)には、次のように述べられている。

……斯様のことになった場合、菓子パン店の立場といふものは非常に難しくなる。恐らく戦時産業動員計画に基づいて、菓子パン店は規模の大小こそ異れ、特殊の任務に就くべく命ぜられるであろう……斯うしたこともあり得るのであるから、今から覚悟して置く方がよいであらう。

菓子パン屋が命ぜられる「特殊の任務」というやつには興味が尽きないが、筆者は右の覚悟の上で、非常時下における営業上の自覚を説く。

大国民の態度として無暗に興奮することは慎まねばならぬ。併し振起された愛国心は、いつまでも持続せよ。そしてその愛国心が、何らかの形で営業上に反映する事は、当然であると云ふよりは、むしろ奨励すべき事の一つである。

しかし、これは決して「戦争を商売に利用せよといふのではない」と言い張るのが面白い。

菓子店といふものは、どんな時でも菓子を売って儲ける以外には、何の考へもないものだといふ印象を与えることは、それが食糧関係営業であるだけに、特に警戒しなければならないと思ふ。……戦争のドサクサに紛れて、金儲けに狂奔しやうといふことは排撃すべきだ。
併し金儲けは如何なる場合といへども大きな魔力であって、人間を容易く盲目にする。この危険から我々を安全に救ふものは、忠義心と愛国心だけである。

これを読むと、やはり戦争とはボロ儲けのチャンスにほかならなかったことがよくわかる。引用した文章では「愛国心」と「金儲け」の間で振り子のように揺れているかに見えるが、結局のところ両者は矛盾するものではなく、愛国心の高揚は金儲けにもつながるし、金儲けにとって愛国心は格好の隠れ蓑であるという表裏一体の関係にあったのだろう。

では、戦時における菓子店の使命とは何か?

戦時、食糧の欠乏を告げ、不味単調の食生活を余儀される結果、国民が生気を失ひ、士気の阻喪を来たさんとする時、製菓業者が、美味にして栄養的な菓子を供給することは、国防上絶対に必要なことであって、その場合、量的に質的に、貧弱なる材料を練合、調理、使駆、塩梅して、美味、栄養の菓子に作り上げることこそ、製菓術の製菓術たる所以であり、一大使命ではあるまいか。
我々が戦時、特に、国防上の増大培養のために働くことは、非常時菓子パン店の当然の任務であり、最も光栄とする所でなければならない。

素直に読めば、“非常時だからこそ美味しいお菓子を作ろう”だが、裏側から読めば、菓子店といえども国家総力戦体制の一翼を担うものであり、菓子といえども国防とは切り離せないものとして戦争に積極的に動員されよう――ということだ。敢えて菓子業界の戦争責任などとあげつらうことはしないが、生活のあらゆる領域に戦争は入り込み、人々を駆り立てていったのだなあと感慨深い。

本文中には『戦と菓子』と題した陸軍糧秣本廠・阿久津正蔵主計少佐による、世界各国の携行糧食の研究もある。
世界各国の乾パンの比較研究であるが、やはり神国・日本の乾パンが一番美味だったようだ。その理由は、

米飯を食べてゐるものがビスケツトや乾パンを主食として食べるのを嫌がると云ふことは非常に重要視しなければならない点

を考慮して作られたものだから、らしい。つまりコメ食とちがって、口中で噛んでも「甘み」を感じるのがやや遅れる小麦粉を材料としているということを認識した上で、「甘み」感のスピードをコメ程度に増した味付けになっていたようだ。意外と合理的である。
もっとも、乾パンは一般的にまずくなければならないそうで、「余り美味しいと何時の間にか食べて終ふ」からだ、ということらしい。軍用携行食糧マニアにはたまらない話題であるが、きりがないのでここまでにしておこう。