なぜ玄米でなければならぬか

二木謙三著『なぜ玄米でなければならぬか』大日本養生会叢書 第二輯 昭和9年初版 昭和18年21刷

……ああ、トンデモないものを見つけてしまった。

「なぜ玄米でなければならぬか。玄米は図表にもあきらかなる通り人体に必要なあらゆる成分、あらゆる養分を最も適当にして且つ充分なる量に含み消化吸収は最も宜しく、又唯に養分の分量のみならず、其の性質は最上最優にして即ち完全の極致に達し、世界に於て常食として玄米より優良なるものは断じて之れなく……」

 最近玄米食はとみにブームだが、それを最初に提唱した人として有名なのがこの二木医学博士である。本書の構成も「1.米の精白度による各養分の損失」「2.白米玄米の消化吸収率及消化吸収実量」「3.中等度の労働をなす場合の三養素及其の熱量」……と、そんなにおかしなことが書いてあるわけではない……はずなのだが、なんだか様子がヘンなのだ。
 この博士が玄米食を奨励するのは、まず第一に滋養分に満ちた完全食である、というのが理由だが、第二の理由が「白米は膨大な国家的損失だ」からだそうだ。じっさい、「5.白米の国家的経済損失」という章では、白米を喰うことによる国家的損失は一年間で「五十四億六千九百萬円」であるとはじきだしているところがすごい。

この計算方法がなかなかふるっていて
●「白米精白費搗減腐食過食による損失 十二億六千六百萬円」
――白米では玄米の2倍喰う、というのが「過食」の内訳らしい。ホントかよ? さらに精白費から糠売却代(一石四十銭らしい)を引いてあるのも、ゆきとどいた配慮(?)である。

●「白米有害作用による不健康の損失 十六億四千二百萬円」
――白米の「有害作用」は、脚気に限らず結核・胃腸病など……すべての不健康問題は、殆ど悉く白米に其の端を有せざるものなき状態」なのだそうだ。なんと白米は万病の元であるらしい。ここでは控えめにも脚気のみをとりあげ、脚気患者百五十萬人」として、一人当たりの賃金(一日二円×三六五日)+治療費(一日一円×三六五日)という式で計算したとのこと。脚気患者が貰うはずだった賃金まで白米の「有害作用」に勘定されてしまっては、もしも白米にココロがあれば、なんともやりきれない思いであったことだろう。

●「白米食者の高価副食物消費による損失 二十五億六千百萬円」
――もうこれは博士独特の屁理屈であるので、全文を引用しておこう。
「平均中等度の家庭が、玄米食生活に於ては、平均一人一日十五銭を以て満足に生活し得べきものが、白米食なるが為めに、更に高価の副食物(注・おかずのことだ!)を要求し、其の差額は平均八銭に上り、即ち一人一日食費平均約二十三銭の消費の止むなきに至る。即ち一人一日八銭を全国的に計算すれば其の損失、年二十五億六千百萬円に達す」
なんと玄米にすればおかずも少なくて済むらしい……恐るべし完全食・玄米!

 こうしたパラノイアックな「国家的損失」計算は、実は博士の燃えたぎる憂国の至情に発していた!(……お約束だが)

「ニッポンは三千年来玄米食国なりしに二百五十年此の方誤まりて搗精をなし、漸次精白したる死滅米を用ふるに至り、人心は薄弱となり、贅沢食を貪り、世は貧弱となり、恒産なきもの恒心なく、賄賂公行今日とも変はらざる、徳川の末代を致したるは、人の良く知れる処にして、只其の原因の白米にありしや否やは、人未だ悉く之を知れりと云ふ能はざるのみ」
――すさまじい白米憎しのアジテーションである。徳川幕府が崩壊したのも白米のせいらしい。これはぜひ「新しい歴史教科書」にとりあげてもらいたいほどの大発見である。

「白米食を玄米に復古すれば、全国的に年五十四億六千九百萬円の冗費を復活せしむることを得て、国は富強の力を増し、祖神の国日本を復古し昭和維新を開拓し、国威を四方に宣揚することを得、洵に三千年の昔より祖神によりて與へられたる日本独特の世界無比の国民的栄養食なることを悟らば真に玄米でなければならぬことが了解せらるるであらう」
――まんと二木ハカセは「玄米食による昭和維新」を目論んでいたのだ! 社会を変えるにはまず食べものから、とは、赤魔トロツキーもビックリのラディカルさである(『文化革命論』参照)。……ううむ。玄米食ブームは昭和維新への布石であったのか! あっ、いまなら平成維新か。玄米食提唱から70年を経て甦った、なんと遠大な革命工作であろうか!
――というのもあながち冗談ではないのだ。最初はこの一節、当時の文書によくある枕詞のようなものと思っていたが、それは大間違いだった。この先生は実はかなりヤバイひとだったのだ!

 この二木謙三という人物、調べれば調べるほど、なかなかに興味深い人物である。
 1873年秋田県生まれ。東大医学部を卒業し、駒込病院に奉職。ドイツ留学後、1919年に駒込病院院長、1921年東大教授、1930年日本医科大学教授を歴任。1904年に、志賀潔が発見した赤痢菌とは異なる2種類の赤痢菌を分離、駒込A菌、駒込B菌と命名、赤痢病原多元説の基礎を確立した。1915年には鼠咬症病原体スピロヘータを発見、1955年に文化勲章を受章。1966年没(以上、『朝日人物事典』より)――というのが、一般的に流通しているプロフィール。この先生、1920年代に駒込ペピット(理科の時間にお世話になったヤツ)を発明するなど、帝国医学界に燦然と輝く西洋医学の俊英だった……というのがオモテの顔。
 そしてもう一つの顔は……残念ながら、恐ろしくてこれ以上書けません。だってまだ信者がいっぱいいるんだもの……。キーワードは、植芝盛平翁(合気道開祖)、出口王仁三郎、川面凡児、神道大和教、平沼騏一郎無窮会、二木式腹式呼吸法、マクロビオテック、致知出版社……あたりでググろう! かなーりオカルトです。