帝国の算数(大東亜旅行編)

第五期国定教科書「初等科算数」 昭和16年文部省/日本書籍株式会社

 やはり一番面白いのは第五期国定教科書の一群で、強烈な大和魂と、大東亜共栄圏をささえた帝国のグローバリズムとの、奇妙な混交がたまらなく興味深い。それはなにも、悪名高い「修身」にかぎったことではなく、「習字」や「算数」の細部にまで、"帝国"は浸透していた。
 たとえば、ここに挙げる「初等科算数 八」を見てみよう(原文は全てカタカナ漢字まじり文であるが、ひらがな&現代かなづかいになおした)。

[イロイロナ問題]
(15)電報に使う字は、片かなと〇から九までの漢数字とである。記号として、ー、ヽ、「、( )、を用いることができる。料金は次数によって定められていて、濁音・半濁音は二字分、記号のうち( )は二字分、他は一字分として計算される。

内地相互間 40銭(15字まで)、7銭(5字増すごとに)
内地と朝鮮・台湾・樺太南洋群島間 45銭、7銭
内地と関東州または満州国間 60銭、12銭

下の電報の料金はいくらか
グンムコウヨウ、スグカヘレ
(宛名)トウキヤウトカウヂマチク クダン二ノ二ノ二五 ヒガシカタ
タナカセイヂ


……かなり香ばしい! しかしこの問題は意外と難しい。一体、この電報はどこから発信されたのか、どこにも書いていないからである――というのが「戦後教育を受けた反日日本人が失った歴史感覚」(苦笑)
ってやつで、1)グンムコウヨウとは召集令状のことであろう 2)宛先がトウキヤウということは、田舎の親父が東京にいる息子に出したに違いない ぐらいは押さえた上で、この「タナカセイヂ」の本籍地が内地だったら……樺太だったら……関東州だったら……と3パターンをすらすらと答えなければならない。
個人的には「内地―樺太間」よりも「内地―満州間」のほうが通信料が高いのはナゼなのか非常に気になるところである。

[大東亜]
(4)次は横浜・昭南・ジャカルタ間、及び香港・シドニー間の汽船の航路である。
●横浜―(350海里)―神戸―(240)―門司―(540)―上海―(840)―香港―(1440)―昭南―(535)―ジャカルタ
●香港―(630)―マニラ―(790)―ダバオ―(1700)―木曜島―(1340)―プリスベン―(510)―シドニー
横浜から昭南を経てジャカルタまで、及び香港を経てシドニーまでの航路の距離を計算せよ。


……って、それはただの足し算じゃねえか! しかも何処も「いずれ日本になる」的匂いがプンプンして楽しい。P・Kディックの『高い塔の男』を彷彿とさせるディスユートピアぶりだ。それにしても道具立てが大仰過ぎるんだよ、と思っていると、実はこの問題もまたエラク実用的なのであった。

速力18ノットの汽船に乗って横浜を出帆し、寄港地で一日づつ碇泊して昭南に行くには、何日何時間かかるか。

普通、「速力18ノット……」とくれば、距離÷時速……となりそうなものだが、ご丁寧に寄港地で一泊まで付いているのだから、単なる算数の問題の範疇を超えている。まさに旅行者向けといわずして何であろう。

(7)「東京からバンコクへの定期航空路は次のとおり……羽田からバンコクまで何日・何時間かかるか」
当時は台北・広東・ハノイに一旦降りていたので、空路でも2日がかりであったらしい。

(8)「横浜・パラオ間の定期航空は次の通りである……この飛行機の平均時速を求めよ」
どうやら、昭和15年の段階で、「横浜―パラオ」の定期航空路があったらしい。横浜発、ということは本牧にあった横浜水上飛行場であろう。この便はサイパン経由で。横浜6時発、サイパン16時着、そのまま一泊(!)し、翌朝8時サイパン発、15時パラオ着、という、今では想像もできないのーんびりした空の旅。ああ、面白そう。ともあれ、たかが小学生の算数の問題とはいえ、「伸びゆく大日本帝国のいきいきとした姿」が伝わってくるよい例だ。

いつのまにか、すっかり「大東亜共栄圏の旅」にハマってしまう不思議な算数の教科書だが、全国津々浦々のハナタレたちが、昭和16年から終戦まで、こんな豪華海外旅行の夢を教室で膨らませていたとは驚きである。「戦争は海外旅行のようなもんだった」という元兵士の証言を読んだことがあるが、さもありなん、教育現場で醸成された広大な大東亜への憧憬は、まさに帝国の見果てぬ夢でもあったのだ。