「君が代」斉唱の職務命令は合憲?

君が代」斉唱の職務命令は合憲、初の司法判断…東京地裁
6月20日21時15分配信 読売新聞

 入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱しなかったことを理由に、定年後の再雇用を取り消された東京都立高校の元教諭ら10人が、都を相手取り、再雇用職員としての地位確認などを求めた訴訟の判決が20日、東京地裁であった。

 佐村浩之裁判長は「式典で起立、斉唱することは儀礼的な行為で、思想・良心の自由を侵害するものではない」と述べ、斉唱を命じた校長の職務命令を合憲と判断。命令に反した原告を再雇用しなかったのは、都教委の裁量の範囲内で適法として、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。

 都教委は2003年10月、式典で国旗の掲揚と国歌斉唱を教職員に義務づけ、校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問うとする通達を出した。この通達を巡っては、約400人の教職員が原告となった別の訴訟で東京地裁が昨年9月、違憲判断を示している。今回の判決は、都の通達に基づく職務命令を合憲とした初の司法判断で、正反対の結論となった。

 やはりこの記事で紹介されている、「式典で起立、斉唱することは儀礼的な行為で、思想・良心の自由を侵害するものではない」という判決文はかなりヤヴァいのではないか。
 式典での「起立、斉唱」などの儀礼は、児童・生徒にたいして国家への忠誠ならびに愛国心の涵養をうながすための――つまり特定の思想・信条を教育的に形成するために学校教育に導入されている行為ではないのか? 「儀礼」だから思想的にニュートラルである、というハズがない。そんなものは戦時中の各種『国民儀礼』マニュアルをみれば明らかなことである。最敬礼マニュアルひとつとっても、最敬礼の時の腰の角度や最敬礼を行う対象の限定などのこまごまとした生-政治的ディティールに大日本帝国の精神が貫徹されていたのだ。
 この判決文がヤヴァいのは、「日の丸・君が代儀礼を思想的に無色透明なものであると規定することによって、国民的義務=いかなる思想・信条の持主であろうと国民として敬意を払って当然のことに仕立て上げたところにあるのではないか。言い換えれば、「日の丸・君が代儀礼にまとわりつく宗教性=思想性から、「日の丸・君が代」を政治的に“解放”したところにある。

 ボルな人やアナの人がいくら頑強に拒否したとしても、「日の丸」「君が代」の前に頭を垂れるのを強制することは、「思想・信条の自由」への圧迫にはならなくなってしまう国となった*1嗚呼、神の国は近づけり!


『昭和の国民礼法』帝国書籍協会刊 昭和17年

*1:たとえ「(教育現場における)職務命令」という限定が、判決文には付いているのだとしても、である