半裸少年折檻図――かと思った

少年倶楽部昭和17年4月号 梁川剛一画

ぼくらの先生は帰還勇士だ。昨年の夏、
『君たちは、やがて兵隊さんになるのだ。今からお役にたつやう十分体をきたへておかなければならない。』
といつて、はだか体操をはじめられた。
それ以来、皮膚が丈夫になつたのか、かぜをひいて休む者が、ほとんどなくなつた。桜の花の校庭で、今日も肋木(ろくぼく)をやる。
『あごをひいて、胸をぐつと前につきだして……』
先生もぼくらも、一生けんめいだ。はだかの肌には四月の風が、さわやかに感じる。

大日本帝国の身体観における男性原理的側面とでも申しましょうか、「帰還勇士」という設定といい「はだか体操」(先生もハダカ)というネーミングといい、「武士道と云ふは衆道と見付けたり」的な匂いがプンプンしております。「兵隊さん」への道は、かくも過酷でエロい道であったのでありましょうか。

つーか、市之瀬国民学校のハダカ校長もそうだが、どーしてそんなにハダカにこだわるのか。
脱ぐことが一つの目的となっている身体鍛錬が、日本的伝統の何処にあったのかしらん。私はそれよりも、19世紀後半から20世紀前半にかけて、ドイツで勃興したヌーディズム運動の残響……という線が近いのではないかと思う。たしか伊藤俊治『裸体の森へ』に出てきたように思う。ワンダーフォーゲル運動と一緒に輸入されてきたギムナジウム式錬成の線も濃厚と見た。


なんか連想してしまうのが、三島由紀夫先生による『聖セバスチャンの殉教』。