神国日本の夏休み(2) ブルマーで『正常歩』

地獄のお盆前進行もようやく片付き、あとは印刷屋さんヨロシク状態で、死んだように爆睡。目が覚めると夢遊病者のように古書展会場へ。そこで見つけたのがコレ。


『正常歩』大谷武一著、目黒書店、昭和16年刊 一応、この画像がカバー

先日の講談社の絵本「つよいこども」にも「正常歩」で体を鍛えようという頁があるのだが、ではいったい「正常歩」とは何か?

常歩とは、人間本来の歩き方に、教育的な或種の要求の強調された歩き方である

……いや、これではさっぱりわからない。

常歩の性格.
一、上体は真直であること。決して前傾したり、また殊更に反りもしない。
二、頭は真直に保ち、視線も概ね進行方向に真直になるやうにする。極端に視線を下げ、或は傍見等をしてはならない。

――まあ、これはそうだろう。

三、臀は十分脱力され、肩胛間接に於て大きく、肘間接に於て小さく振れる。
四、肘間接は、臀が前方に振れるに連れて少しく屈がることになる。此の際臀が最後まで固い棒のやうになつてゐるのは緊張の過ぎた証拠である。
五、指は脱力の結果、いつも軽く屈がつてゐるか、若くは軽く伸ぴてゐる程度がよい。
六、臀の振れは、真前ではなく、心持ち内方に振れることになる。勿論故意に内へ振るのではない。
七、臀の振れは、歩長に正比例して振られる。歩長と不釣合に、殊更に大きく振ることは過失と認められる。

――臀(尻)への指示4連発であるが、「十分脱力された臀」、「臀が最後まで固い棒のやうになっている」状態、「心持ち内方に振れる」臀、など、さまざまな臀の態様が分類されているのが興味深い。とくに「固い棒のようになっている臀」というのは、ぜひ一度見てみたいものである。

八、足尖は概ね歩く方向を向いてゐる。極端な外鰐、内鰐は矯正されねばならぬ。
九、振動脚は、脱力の結果前方へ振れて地床に着く直前に軽く伸ぴてゐるを最良とする。但し伸ぴてゐるといつても、貌の上では幾分屈がつて見えるものである。
一〇、足は地床に、最初踵の部分から触れ、其の後直ちに全足蹠に及ぴ最後に足尖が離床する.
一一、足が地床に触れた瞬間から、膝は屈がり始める。此の際伸ぴてゐると、推推力がそれだけ妨げられるヒとになる。
一二、膝は支持脚から振動脚に移る直前に於て一度踏伸ばされる。
一三、完全な正常歩に於ては、振動脚の終りに一度軽く伸膝きれ、支持脚の終りにやや強く伸脚されることになる。
一四、腱のどの部分も、一切凝ることなく、終始ゆつたりとした体勢であるべきこと。

――振動脚、支持脚というコトバがることははじめて知った。しかし、人間の歩行を記述することの、なんとも無味乾燥な事よ。

一五、心は常に下腹部のあたりに落着けておくを要し、そはそはとした落着かぬ態度は禁物とする。
一六、気分は、いつも明朗で潤達であるを要する。

――こういう歩行の精神への言及がなければ、物足りないものである。

一七、歩長は狭きに失せず、歩数は少きに偏せず、常に適正なる歩長と歩数とを以で「颯々」と歩くべきこと。

――……とまあ、全編こんな調子なのだから、ハナから眠くなってくるわけである。
こうした正常歩の訓練は、運動場でみっちり仕込んだ上で、やがて街頭訓練へと進んでゆかねばならんと、著者は書いている。

八、歩行訓練の生活化、
 以上は主として校庭、若くは限られた運動場での、団体訓練に就いて述べたのであるが、訓練場は、いつも限定された運動場に限つたわけのものではなく、場内の訓練は、やがて街頭へと延長されなければならぬ。殊に運動揚の狭隘な所では、必然的に、屡々街頭進出を余儀なくされる事になる。
 斯くて訓練きれたる街頭行進は、隊伍を組んでの神社への参詣、遠足、旅行等の際にも適用せられ、其の他一切の団体行動に用ひられる。なほ登校下校の際には、部落別に集団をつくり、之に団体行進の訓練が応用されるやうになると、ここにはじめて訓練の日常生活化の具現を見るわけである。

ということで、全国の学校教育の現場で、この「正常歩」は大活躍したらしい。
本書には、鹿児島県女子師範学校の強歩訓練の写真が掲載されている。

……で、なぜか訓練前の「身体の精密検査」」の模様も掲載されている。うら若き乙女達のおつぱいがワザワザ写り込んでいるのである。