『仏教の新体制』山邊習学著 第一書房(戦時体制版) 昭和16年


仏教界と神祇院の間に起こった、靖国神社をめぐる抗争の一端が伺えるのが面白い。

靖國神社の一宗教性に関して

イ 神社崇拝と佛教思想
神社崇拝と仏教思想との関係に就て、特に仏教繁昌の所で今日新しく問題になつて居るのは、靖国神社に祀られた人達の魂の行方と云ふことに就てでみる。靖国神社は国家の為に勇しい戦死を遂げた人々の功勲を思召して、それを合祀せられたもので、明治以後になつて新たに制定を見、今回の事変に於ては国民の感激と崇拝の対象に与つて居るのである。所が従来仏教繁昌の所で、特に浄土教の影響を受けて居る人々は、信仰を得れば極楽へ往けるが、信仰がなければ悪道へ行かなければならぬ、斯う云つ教へを長い間受けて来たのであるが、今度全く自分一身上の利害を離れて、国家の為に一身を捧げ、それが国家の功労者として、勿体なくも、天皇陛下の御親拝を恭うする程の身の上になつた者は、仮令信仰がなくとも悪い処へ行くと云ふ訳がないと云ふのが、仏教信仰の上に新しく起つた一つの問題である。
是は、従来の仏教の教義に於て未だ曾て取扱つたことのない新しい問題であるが為に、全国到る所其の問ひに封する答が色々区々で、在來の仏教教義の型をそれに嵌込んで見たり、又何か新しい自分勝手の新解釈を加へると云つたやうな様々な解答が行れて居る為に其の去就に迷つて居る人が少くない状態である。(同書116頁)

まさに「浄土」Vs「靖国」、極楽はどっちなのかと死後の世界をめぐる現世の抗争が惹起している。
この本を読む限り、仏教界も「靖国事態」の出現にあわてふためき、時局の迎合した教義の確立にとりくんだようだ。この抗争に、山邊はどういう答えを出したのか……。

ほかにも「内部国防としての仏教」「仏教の思想戦」「挙国皆兵と仏教」など、楽しい記事がいっぱい!