戦時下の婦人身の上相談 米国生まれの十四歳長男を……

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「主婦之友」昭和一九年四月号

米国生まれの十四歳の長男―どう導けばよいか

【問】
米国生まれで十一歳のとき帰国した長男ですが、昨年中学への入学に失敗し、只今高等科一年に在学中でございます。この子は三歳のとき教育勅語を暗誦したほど智能の優れた子でしたが、帰国以来無理解な校長、短気な受持訓導に痛めつけられ、勉強する興味を失っております。どう導いたらよいでしょうか(谷子) [「主婦之友」昭和一九年四月号]


教育勅語を暗誦」が智能の高さのバロメーターになっていることには驚きますが、だいたい三歳ころの子どもは、誰もみな神童に見えるものです。お気になさる必要はありません。それよりも問題なのは、二十一世紀日本でも問題になっている「教師のいじめ」でありましょう。「無理解な校長、短気な受持訓導」……ありありと目に浮かぶようです。そんな学校に行かせる必要はありません。不登校……おっと、当時は認められないか……可能であれば縁故疎開をさせて、子ども本来の個性を取り戻させるべきです―などと、現代なら答えただろうが、昭和19年の身の上相談回答者は、骨の髄までお上には逆らわない奴隷根性の持ち主であったから運が悪い。歴史的文書でもあるので、ここでは全文を引用しよう。

【答】担当 霜田静志先生
お子さんが今日のようになられたのを先生方のせいのみとお考えになるのは間違いでしょう。幼いときからの育ちは争われぬもので、帰国後どれほど日本的な教育をしたつもりでも、お子さんの気持ちの中にまだまだアメリカ的なものが残っておりそれが先生方から嫌われる大きな原因になっていると思われます。真の日本的な心持ちというものは、幼いときからの日本的な環境と伝統の中に知らず識らず培われるものです。お子さんのこの足らざる点を深く反省して、先生方を恨むことなく、更に一層この点を教えて頂き、お子さんにもよく言い聴かせて、中学入学を目差して進まれるがよいと思います。

 ううむ。これはヒドい。
 回答者の霜田静志は、児童カウンセリングの草分けで自由教育の実践者でもあった著名な児童心理学者。今でも戦後の彼の著書『子どもの自由としつけ』『叱らぬ教育の実践 子どもへの愛と理解』は、児童教育の古典としてもてはやされているほどだ。戦後「叱らぬ教育」を提唱したこの御仁が、敗戦直前には「無理解な校長、短気な受持訓導に痛めつけられ」ている事態もまったく問題視していないのだから、その〈転向〉ぶりは教育者にあるまじき不誠実さとしか言いようがない。
 まずもって「お子さんの気持ちの中のアメリカ的なもの……それが先生方から嫌われる原因になっている」とは、まことにひどい言い草である。「痛めつけられている」のを教育的指導デアルと言いくるめるのならばまだしも、これでは、教師の好き嫌いで子どもをどう扱おうがかまわないと言っているのに等しい。
 いやそもそも、霜田は「真の日本的な心持ち」を、「アメリカ的なもの」に対置しているが、双方その内実は不分明で、よくもこんなに漠然としたレッテル貼りで、教育的処方箋が書けるものだとあきれかえる。
 「幼いときからの日本的な環境と伝統の中に知らず識らず培われる」のが「真の日本的な心持ち」ならば、上は総理大臣から放火魔、痴漢、詐欺師、人殺し、警察官にいたるまで、日本で生まれ育ったらみな「真の日本的な心持ち」を持っていることになる。これほどまでに不可思議な「心持ち」を身につけていないことが「お子さんの足らざる点」といわれても、何が「足りない」のかさっぱりわからない。
 ともあれこの問答が示しているのは、当時の日本ではすこしばかり生まれた場所が違うだけで、教師からいくらいじめられても「足らざる点」を反省してじっと耐えねばならなかった、ということだ。
 教育基本法も改悪された現在、こういう「無理解な校長、短気な受持訓導」がまたぞろはびこり始めるのであろう。