ナゾの慰安用読み物(続)「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」

で、この本も目次なのだが……

銃後美談 軍国の妻――岡倉寛一作 丘輿志緒画
戦場の夜半(新作軍歌)――山田一郎作
落語 手打ちそば――桂小文次演
諸国民謡集――(無署名)
新作漫才 気まゝ――北山梅風・北山雪枝
講談 糠屋の娘――三遊亭燕橋演 菱田彌一画
友情の断髪式(力士報恩物語)――(無署名)
新作漫才 節約時代――花月亭夢丸・横山柳枝
◆昔の落語――(無署名)
◆小型漫才――(無署名)
感激美談集――吉川八十八
日々修養訓――(無署名)
義理人情 頼まれ仁義――松田明三作 菱田彌一画
名人落語 酔って件の如し――三遊亭圓生
小型漫談 人を見る目――(無署名)
新作落語 十萬円――立花亭爺助
義姉外伝 忠僕直助――荒川玉次郎 丘輿志緒画

 まずは内容からだが、微妙に古典の名前が変えられているのに気がつく。
 創作ものは別として、「糠屋の娘」のサゲは「あの女は、以前は糠屋の娘なんだ」で、落語「わら人形」が元ネタ。これがなぜか講談にしたてあげられて改題されているわけである。
 「酔って件の如し」も有名な「たらちね」だが、一体どういうわけでタイトルを変えたのかさっぱりわからない。
 
 最大の謎は、この目次に出てくる人々は、「三遊亭圓生」を除いて、この雑誌以外には何の痕跡も残していないと言うことだ。Googleでも国会図書館でも見事にヒットしないばかりか、いろんな芸人名鑑にも出てこない(こんなくだらない本のために半日つぶした小生は愚か者である)。一体何者なのか??

 クセ者は「三遊亭圓生」で、ご承知の通り確かに実在するのだが、ここに載っている落語速記録が本人が口演したものかどうか定かでない。というのも、五代目三遊亭圓生が死去したのは1940年(昭和15年)1月23日。六代目が襲名したのは1941年(昭和16年)5月。ところがこの「評判読物選集」が出たのは1940年(昭和15年)9月なのである。
 つまり、この本が出版された当時、「三遊亭圓生」は空位だったのだ。もちろん、膨大な速記録を残した五代目の生前の口演ということも考えられるが、ではなぜクレジットに「故」すら付いていないのか? ナゾは深まるばかりである。

 もしもこれがすべてペンネームだとしたら、一体何人で書いているのか。さらに、これほどまでに匿名にこだわったのはなぜなのか。戦後のカストリ雑誌は、往々にして出版社社長が編集長、大小説家、画家、編集小僧とぜんぶ一人で兼ねていたことは珍しくなかったそうだが、もしかしたらこの本は、そうしたでっち上げ書籍の原点にあたるものなのかもしれない。

 ボルヘスの短編「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」は、百科事典の記事に紛れ込まされた精細な虚構世界の記述が、やがて現実世界を浸食し始めるという物語であるが、同じように、「吉川八十八全集」や「立花亭爺助ライブSP盤」「丘輿志緒画集」が、これから先じわじわと何者かの手によって古書店の棚に登場し始めるのかもしれない。そんな、イヤ〜な予感がするのである。