ラヂオの時間ですよ

国民学校放送教育の実践』東京第一師範学校女子部附属国民学校著 日本放送出版協会

大東亜戦争」勃発とともに、ラジオは一気に学校教育の現場で活用されるようになった。「学校放送」というジャンルで、教室での聴取に特化した放送が開始されたのは、満州事変(1931年)をきっかけにした時局啓蒙番組から。以降、日中事変・大東亜戦争を経て敗戦まで、神の国のご託宣をデムパに乗せて、全国のよい子たちに届けた。
放送は香ばしい番組がテンコ盛りで、国民学校初等科向けでは「ヒノマルノハタ」「日本バンザイ」「兵隊さんありがたう」「軍犬のてがら」「軍艦生活の一日」「靖国の英霊に捧ぐ」などが並ぶ。「新兵器の話」「機械化部隊」「満州便り」はちょっと年長のお友だち向け。「東亜共栄圏めぐり」なんて番組もあってグローバルな視野を持つ皇国民をさかんに育成しやがった模様だ。
本書には授業記録も掲載されており、昭和17年12月16日の「南洋だより」という放送を使った授業を見てみると、
「南方に於ける日本人と原住民との間に行はれる交歓し合う様相、南洋諸民族が大東亜共栄圏の建設のために日々働いてゐる有様」
――を伝えるのが授業の狙いらしい。放送内容も、「こちらパラオです」からはじまって現地の国民学校児童がバナナを採る音」(どんな音なんだ?)「スコールの音」「果物の話」のほか、合唱「皇国二千六百年」「兵隊さんよ有難う」など、南洋に伸びる大日本帝国の版図を充分に感じさせる構成だ。
聴取後の指導もすごい。
「「今日の放送を聴いて、うらやましいと思つたところがあるでせう」果物の豊富なこと、バナナ一本が百三十六房あつたことを思ひ出させる。児童一斉に「僕等も行きたいなあ」といふ」
……まずはバナナで子どもを釣って、南洋への関心を持たせるという戦術だ。「全体を通じて強く感じたことは」と教師が聞くと、優等生数名が「向かふの子供たちが、天皇陛下に忠義の心をもってゐるのに感心しました」と答えたというのだから、よくできたハナシである。
「大変よい所に気がつきました。日本に治められるやうになってから何年になりますか」という教師の再質問には答えが決まっている。
「三十年の間に皇化普(あまね)く原住民が幸福に暮らしていること、原住民が裸体から衣服をつけるようになったことから、日本の国力発展を」思わせる、のだそうだ。
授業の最後は「南洋といへば随分遠いやうに思ってゐましたが、大東亜戦争以来大変近くなったやうな気がします……まだまだどこまでもひろがって行くのです。私たちももつともつとお国のためにつくしませう」と教師が結ぶ。
日本は植民地支配でいいことをしたといまだに思っている人は、この番組を聞いて、あらためて大御心の宏大さに感涙するがよかろう。合掌。