「拙文はスルー」の哀しみ

 『新潮45』のわずかな余命を断ち切ってしまった杉田水脈擁護特集、ここに執筆したメンバーの一人、藤岡信勝氏が、産経系WEBメディアのiRONNAに、「藤岡信勝手記「言論圧力に屈した新潮社よ、恥を知れ」」という涙なしでは読めない文章を寄せていた。

ironna.jp

 彼が『新潮45』に書いた「生産性」をマルクスのどこからひっぱってきたのかについて前半は費やされているのだが、これがいろいろ噴飯で、元共産党員であった藤岡先生の「昔とったきねづか」も恐ろしく錆びついてしまい、原型をとどめていないのだなということがよくわかった。

 藤岡氏が見つけた『ドイツ・イデオロギー』の当該箇所はどこだか明記されていないが、たぶんこのあたりではないか。

さて労働における自己の生の生産にしても、生殖における他人の生の生産にしても、およそ生の生産なるものはとりもなおさず或る二重の関係として――一面では自然的関係として、他面では社会的関係として――現われる。

マルクスエンゲルスドイツ・イデオロギー』Ⅰフォイエルバッハ[1]歴史、大月版全集第3巻、1963年、25頁

 しかし、藤岡センセイが若い頃から親しんできた「正統派」的体系では、エンゲルスの『家族、私有財産、および国家の起源』の序文のほうが先に出てきてもおかしくないのだ。

唯物論的な見解によれば、歴史を究極において規定する要因は、直接の生命の生産と再生産とである。しかし、これは、それ自体さらに二種類のものからなっている。一方では、生活資料の生産、すなわち衣食住の諸対象とそれに必要な道具との生産、他方では、人間そのものの生産、すなわち種の繁殖がそれである。

エンゲルス『家族、私有財産、および国家の起源』「1884年版への序文」、大月版全集第21巻、1971年、27頁。

 いずれにしろ、マルクスエンゲルスの言葉から杉田水脈の「生産性」ものさしを擁護するのはまったくの筋違いと言わなければならない。

  そもそも「生産性」は、労働過程(生産対象+生産手段+労働力の結合)の結果生み出される生産物、この生産物ではかられる生産の有効性の度合い(上記3要素の結合がうまくいってるかどうか)についてのカテゴリーなので、諸モメントが有機的に結合する生産(労働)過程から1コのモメントだけをとりだして「生産性」を云々するのはただの俗用にすぎない……「社会科学の普通の用語であることを発信」するのであれば、藤岡センセイはそのように切って捨てるべきであったろう。

 こういう時に、同じ「新しい歴史教科書をつくる会」役員としての党派根性が働いたのであろうか、箸にも棒にもかからぬ杉田の「生産性」語の用法の擁護を買って出てしまったのが藤岡センセイなのであった。ともあれこのくだりに関しては、そもそもヤング藤岡信勝氏が学んだ正統派的「史的唯物論」の ゆがみとも関係するので、稿をあらためたい。

 それにして、前掲の藤岡センセイの「手記」の最大の泣かせどころは

拙文は、7本の特集論文の冒頭に配置された。だから、特集記事を読む人は、最初の関所として私の論文を読み、その関所での果たし合いを経て、次に進まなければならないはずだ。ところが、拙文はスルーである。言論戦を回避してもっぱら圧力をかける。

 のところで、ここまで恥ずかしげもなく「拙文はスルーである」と書いてしまえる、いや書かざるをえなかった藤岡センセイの哀しみを思うと、読んでる方も涙がちょちょぎれてしまうのである。

「スルー」されてしまった右派系論壇誌の杉田がらみ寄稿

 実は『新潮45』10月号の杉田擁護特集以外にも、実は『正論』『WiLL』『月刊Hanada』『Voice』など保守系/右派系論壇誌には、杉田水脈の文章にからめた記事がちらほらと掲載されていたので、これから読むために挙げておこう。

『正論』10月号

八木秀次LGBT 法整備「暴走」を危惧する

『WiLL』10月号

高山正之竹内久美子:科学から見たLGBT

 *ちなみに「睾丸理論」で名高い竹内久美子は、産経新聞2018年8月1日付「正論」欄に「LGBTには生産性がある」なる、杉田水脈の同一平面上にある作文を寄せていた。

【正論】LGBTには「生産性」がある 動物行動学研究家、エッセイスト・竹内久美子(1/3ページ) - 産経ニュース

『月刊Hanada』10月号

八幡和郎:杉田水脈議員へのメディア・リンチ

 *藤岡どころか、八幡氏こそ『新潮45』特集内でもそのあまりの出来の悪さにスルーされているのだが。それにしても、同一人物が、同じネタで、同月の競合他誌にも書いているというのは、この業界の〈狭さ〉を感じさせる。

『VOICE』10月号

村田晃嗣同志社大学法学部教授):LGBTを政争の具にするな

那覇潤:リベラル派の凋落は自業自得だ

 この与那覇氏の寄稿文、杉田作文を起点にしつつも「しかし私はこの騒動が、久々のリベラル派の「勝ち星」だ、とはまったく思えません。むしろ一保守系議員のLGBTに関する無知以上に明らかになったのは、リベラル派の「堕落」と「自己矛盾」だと感じています」と述べていて、「リベラル派」って誰ですかぽかーん状態だ。

 しかもその後に、「保育園落ちた日本死ね!」で子育て支援には最優先で税金を投入せよと訴えていたが、ヘテロカップルでも子宝に恵まれない人はいる、「彼らの視点に立つならば、「子供を作らないあなたは、世代の再生産に貢献しないのだから国による支援は後回しですよ」と言われている点に関して、保育園デモと杉田議員の論理は大差ありません」という、極めて理解しがたい屁理屈をふりまわしていて唖然とした。

 「「子供を作らないあなたは、世代の再生産に貢献しないのだから国による支援は後回しですよ」と言われている」……と書いているが、保育園デモで、そんなこと誰が言ったんですか?? やばいよこの人感がすごい。

 

――ということで、各誌いろいろ大漁みたいですよ。