浄土真宗の「立信報国」:戦時下「殺生戒」のゆくえ


 永年探していたパンフレットがようやく手に入った。浄土真宗系出版社であった興教書院が戦時中に出していた「戦時布教文庫」、その第1巻「立信報国」(昭和12年9月刊)だ。浄土真宗系各派の戦争協力についてはすでに様々な研究文献が出ているが、やっぱりホンモノを眺めなければ、当時の「空気」は見えてこないのが凡夫の悲しさである。

 実際に手に取ってみると、予想に違わぬ立派な皇国トンデモ本で、しばらくはこの本だけでゴハン3杯くらいは軽くいける。白眉は、巻頭の「仏教と戦争」(佐々木憲徳)で、殺生戒があるにもかかわらず「支那事変」に積極的に協力していった教団の立場を、坊主ならではの屁理屈を駆使して縦横無尽に論じているのが面白い。

殺生戒といって、人の清明をとるなかれという戒の如きは、直接今の問題になっている戦争と関係があることになる。殺生戒を守って、人の生命をとらぬとなれば、それは戦争が出来ないこととなり、国家の一員として非常に困惑することになるであろう。(6頁)

別に困惑しなくとも、お釈迦様の教えを守ればよいだけである。

何となれば仏教に所謂殺生戒というのは、平常時の教条であって、今日も明日も、今年も明年も、人が平和な生活の時代にありて守らねばならない戒律なのであり、一旦緩急の場合を規定したものではないからである。(同)

どうやら仏教の戒律にも、「有事立法」があるようだ。なんとも都合の良いことである。佐々木は戦争を「折伏」であると言う。戦争とはつねに正義と悪が争うものであり、正義が悪を折伏する過程なのだと考えねばならぬ……ということらしい。

戦争の如きことも、正義の戦争なるものは、実に折伏逆化の心術方法によりて行わるるわけで悪逆非道にして暴慢なる敵国に、膺懲の大鉄槌をあたえて反省自覚せしめ、以て正義の大道に復帰せしめる目的よりほかはない。(11頁)

……勿論戦争には人が死ぬる、金がかかって、不容易の大事ではあるが、しかし戦争をせなくては正義が世界からつぶれ、正道が埋没するのであるから、どうしても菩薩の願行よりしても、正義を守り正道を護るために、銃剣をとって悪逆無道の魔軍を殲滅せねんばならぬのである。(12頁)

 戦争のどちらか片方がつねにかならず正義である、という世界観はきわめてシンプルかつ幼児的で、おまけに自分の側がつねに正義であると思いこんでいるのだから、佐々木は浄土真宗ジャイアンとしかいいようがない。てゆうか、ブッシュが「対テロ戦争」で言っているのと同じか。親鸞が聞いたら泣くで。
 それにしても「悪逆無道の魔軍」とは……〈妖怪大戦争〉じゃないんだから、とやさしくつっこんであげよう。