田亀源五郎さんの「都条例「非実在青少年」規制問題に関する私見」に激しく賛同します。
「非実在青少年」について、田亀源五郎's Blogの「都条例「非実在青少年」規制問題に関する私見」が、非常に本質を突いた考察だと思いました。自分でも何か書こうと思っていましたが、多くを語るよりもぜひ当該エントリーを読んでいただきたく、ここに紹介いたします。
特に、後者の「健全・不健全」といったような、モラル的な断罪方法については、かつて同性愛差別が、同じモラルの名のもとに正当化され行われてきた歴史を踏まえても、私は断じてそれに同意することはできない。
しかも今回は、それが政治という「社会の中核を成す部分」で起きている変化であるが故に、その行く先に対する懸念が、私の中では通常以上に大きくなっている。
前述したように、こういった性を思想的に扱いつつ、それを「健全・不健全」と二項対立で判断するような考え方が、性を「マトモ」と「ヘンタイ」に分け、「同性愛」は「ヘンタイ」とされてた。そして、この性を「良し悪し」で判断するための基準とされてきたのが、学術やモラルであったのだが、いずれも社会や時代の違いに応じて、いかようにも変化してきた。
つまり、これらは実に曖昧に揺らぎうるもので、決して普遍的な絶対律ではない。これは、今回の都条例の持つ「曖昧さ」、つまり、判断基準が恣意的に、いかようにも変化しうるという問題点と、相通じるもののように思われる。どちらも、「今日はOKだったものが、明日はNGになりうる」のだ。
政治という社会の中核部で、仮にも条例という「法」が、そういった「曖昧さ」を孕んだまま、しかも「わざと議論の余裕を持たさずにスピード採決に持ち込もうとするかのような動き」(竹熊健太郎)、つまり、誰も知らないところで決定してしまい、それを既成事実にしようとするという考え方には、私は心の底から恐怖する。
すでに40年前に、『サド裁判』という暗愚の法廷において、検察側の証人として証言した小市民たちの「健全意識」なるものがいかにイデオロギー的でありかつ恣意にまみれたものであるか――すなわち、己れの性的嗜好を絶対化することがいかに愚かであるか――をわれわれは“知っている”はずなのに。
これは必読だと思います。
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