「日本が好き」の中身
はてブから偶然見つけた「育児板拾い読み@2ch」のエントリ「こんな国」より。
朝日新聞の金髪・ピアスの勧誘員を弄った話。
俺「で、朝日は日本嫌いで、いつも日本批判ばかりしてるから嫌いなんだよ」
朝「俺だって嫌いですよこんな国!だって〜〜」
俺「君や朝日が日本を嫌うのは自由だけど、俺は好きなの。
今だってコタツに入ってりゃ幸せだし、宗教自由だから
食事の前のお祈りはいただきますの一言だけ。
女の子が一人で夜中ぶらつけるほど安全で、簡単な怪我や病気は
病院いっても3000円もしない。居酒屋で一杯飲むの我慢すりゃ病院いけるんだぜ?
刺身も味噌汁も大好きだし、母国の料理に飽きたら
ちょっと都会にでればどの国の料理だって食べられる。へたな国だと今みたいに こんな国! なんて言おうもんなら、
非国民ってことで居場所なくなるよで、話遮っちゃったけど、君が日本嫌いなのはなぜ?」
朝「・・・そういやなんで嫌いなんでしょうね。今の話聞いてたら分からなくなっちゃった」
結局、この勧誘員のお兄ちゃんは、
朝「いえ、あの後3日くらいですぐ辞めました。朝日が嫌われてるの再確認しましたよ
で、今国の役に立ちたいと思って大検と国家二種の勉強してるんすよ」俺「・・・それはまた随分唐突な・・・」
朝「日本の好きなところ考え始めたらどんどん好きになっちゃって。
好きな国に住めてるってだけで今すげー幸せなんすよ!
田舎帰って本格的に勉強しようと思ったんで、お別れの挨拶とお礼にと思って」と、小包くれて(中身はお茶だった)去っていった。
なんか胸くそが悪くなるような香ばしい話ですね〜。
これを書いた人が好きなのは「日本」ではなくて、自分の日常生活デワナイカ。
自分(が大好きな)日常生活が、日本という「国家」の土台に乗っかっている、だからそういう日常生活を可能とする「日本(という国家)」が好き、というのが彼の理屈なのだろう。もーこういう国家とのユーフォリアな一体感垂れ流しはウンザリ。
ただ、一つ気づいたのは、現状の「幸せ」の享受者/消費者としての自分から出発する現状維持的な「愛国心」ということ。
報国と奉公を柱とした戦前の愛国心涵養の方向性と明らかに違う――「日本が好き」ということが、“個人の嗜好”のレベルで語られているデワナイカ。