「抜けっ。斬れっ。」――『臨戦刀術』成瀬関次著、昭和19年

『臨戦刀術』成瀬関次著、二見書房、昭和19年

 福栄部隊の平原城の総突撃は、大突撃として有名なものであつたが、一方、京漢線南下の安田部隊の、南樂城大物斬りの話も、また異色のある白兵戦として知られてゐた。
 南楽といふ小さな縣城へ敵が逃げ込んだ。歩兵部隊が急迫して北門から入り、これを東門外へ追ぴ出す。安田部隊が、あらかじめ東門附近に伏せてゐて、逃げ出す敵兵を鏖殺する。手筈はこれであつて、しかも全くその予定の通りの手筈に引つかゝつた敵兵は、我が安田騎兵部隊の林の如く抜きつらねた日本刀の為めに、その数百名が残らず殲滅されてしまつた。
 この時の話を聞くに、我が軍では、城門の東ロのこゝかしこに半円形に兵を伏せた。かくとも知らぬ敵兵は、我が歩兵部隊のために追はれて、東門からちよろちよろと逃げ出して来た。はるかにこの有様を見た兵隊の中には、はやり出して、躍り出でようとする者のあるのを、部隊長は堅く制し、敵がつい目と鼻の先のところへやつて來るまで命令を発しない。先に立つた敵の将校らしい者の拳銃が見え、話し声がはつきりと聞える程度に接近したところで、部隊長は一声、「抜けつ。斬れつ。」と号令を下したので、忽ちのうちに彼我の乱闘となり、物凄い屍山血河を現出した。後で、安田部隊長の語るところによると、
 「地形と状勢からいふと、機開銃の一斉射撃の方が効果的だつたかも知れぬが、それでは兵隊が承知しない。日本人らしい戦争をさせてくれといつてきかぬのだからのう。
 といふのであつた。この日本人らしい戦争といふのが千鈞の重みのある言葉で、白兵戦といふもの、殊に日本刀を揮つて戦ふといふやうな戦闘形式は、日本人といふ国民性のそのまゝの表現の一つであつて、戦ひ甲斐のある戦ひであり、男子の本懐とする戦ひであり、而して、最も効果的な戦ひであるのである。

真偽不明の戦場武勇伝ですが、このエピソードをつらぬくキーワードが「日本人らしい戦争」。この中身は〈日本刀で斬りまくる白兵戦〉のことらしく、著者の成瀬某は「日本人といふ国民性のそのまゝの表現の一つであつて、戦ひ甲斐のある戦ひであり、男子の本懐とする戦ひ」と絶賛しています。……いやはや、「日本人らしい戦争」というのは、16世紀か17世紀あたりのセンスで時間が止まっている感じがします。