戦争と安全――日本式報国安全運動の暗黒

「季刊中帰連」に原稿を書きました。そのさわりを紹介します。


『戦時安全訓』 武田晴爾著 産業経済新聞社刊 昭和18年9月


 昭和一八(一九四三)年八月、「戦時生産の増強」のかけ声の下に国民徴用令並びに総動員法が改正され、軍需産業を中心とした労働力の動員が、国家による「産業戦線」への応召であるという性格を一層強くした。
 当時の政府広報誌『週報』昭和一八年七月七日号の特集「勤労新体制の確立」には、問答形式をとって次のように解説されている。

徴用とは国家の要請に基づく国民動員である
問 (国民徴用の)国家性といひますと……。
答 つまり私ども一般国民と国家を公法上の服務関係に立たせて、国家総動員業務に従事させる必要のある場合に徴用するといふことにしてゐるのです。言葉を換えていひますと、国民徴用とは、国家の要請に基づく国民動員の制度であつて、これは兵役に次ぐ私ども国民の重大な責務であり、崇高な栄誉なのです。
問 なる程、そのように規定されますと進んで徴用に応じたい気持ちになりますね。ところで、応徴者と使用者の関係はどのようになりますか。
答 これまでは(中略)応徴者と国家の関係がはつきりしてゐませんでした。そこで今度、応徴者の服務規律を定めて、命ぜられた仕事に誠心ご奉公すべき義務を負うのだ、といふ公法上の服務関係をはつきりとさせ、応徴者と国家との直接のつながりを明確にすることにしたのです。


 要するに、徴用で動員される先は民間の工場なのだが、あくまでもそれは国家に徴用されているという形式をとるということらしい。したがって、「使用者」である各企業の社長も国家によって「社長徴用」されることとなり、労+資+国家の三位一体の戦時増産体制が構築されるにいたった。
 けれども、国家総動員に基づく勤労適齢男子の根こそぎ動員は、ちょっと考えればわかるように、大量の未熟練労働者を工場に送り出すことでもあった。戦局が悪化しているさなかにあって、充分教育期間もないままに軍需工場に送り込まれた「産業戦士」たちには事故が続発した。……



――で、出版されたのが写真のパンフレット。内容の紹介は、「季刊中帰連」でどうぞ!