西部戦線異状なし――再読

ふとしたことで、『西部戦線異状なし』を書棚から引っ張り出して再読。あらためて心を打たれた。

 すると今度はクロップがはじめた。
「おれにも一つ合点がいかねえことがあるんだ。一たいあのカイゼルがいいと言わなくってもよ、戦争って奴ははじまってたものかなあ」
「それはそうとも」と、僕は口をさしはさんだ。……
「なんでもカイゼルは、初めっから戦争やる気はなかったって言うじゃねえか」
「それはカイゼル一人がしねえったって駄目よ。世の中で二十人も三十人も戦争をやらねえと言ったら、そりゃあいいかもしれねえがなぁ」
「そこよ、そこよ」と僕は賛成して、「ところがみんな戦争したかったんだ」
「だがまったく滑稽だなあ、ようく考えてみると」とクロップは言葉をつづけて、「おれたちはここにこうしているだろう、おれたちの国を護ろうってんで。ところがあっちじゃあ、またフランス人が、自分たちの国を護ろうってやってるんだ。一たいどっちが正しいんだ」
「どっちもだろう」と僕は言ったが、別にどっちも正しいと思っているわけではない。
「まあそうかもしれねえがな」
とクロップは考えたが、明らかに、その顔色には、僕を問い詰めて行こうという気持ちが読めた。
「だがドイツの豪え学者だの坊さんだの新聞だのの言っているところじゃ、おれたちばかり正しいんだっていうじゃねえか。まあなんでもいいからなるべくそういうことにして頂きてえがな。……だがフランスの豪え学者だの坊さんだの新聞なんかだって、やっぱり自分達ばっかりが正しいんだって、頑張ってるだろう。さあそこはどうしてくれる」
「そうなると、おれにもわからねえな」
と僕は言って、
「まあなんて言ったって、もう戦争なんだ。毎月毎月方々の国がだんだん手を出してくらあ」
 そこへチャアデンがまた顔を出した。この男はまた乗気になってきて、すぐに僕らの話の中へ飛び込み、たちまちこんな話題を持ち出した。
 曰く、そもそも戦争ってものは、どういうわけで起るんだと。
 するとクロップは、多少豪そうな顔つきをして、返事をした。
「大がい何だな、一つの国が、よその国をうんと侮辱した場合だな」
 チャアデンはわざと呆けたような顔をして、
「なに、一つの国だって。それがわからねえ。一たいドイツの山がフランスの山を侮辱するなんてことは、できねえ話じゃねえか。山でなくったっていいや。河でも森でも麦畠でもいいや」
 これを聞くとクロップは唸って、
「貴様はそもそもそんなこともわからねえ馬鹿なのか、それともわざわざそんなことを言いやがるのか。おれの言ったなあ、そんな意味じゃねえ。ある国民がよその国民を侮辱した場合だ……」
「そんならおれたちはここで何にも用がねえじゃねえか」とチャアデンは答えて、「おれはちっとも侮辱されたような気がしてねえものな」
「よしそういうならおれが学科してやらあ」とクロップは腹が立ったように言って、「貴様のような田舎っぺが問題になるもんかい」
「それならおれは家へ帰ってもいいな」
とチャアデンが頑張ったので、一同わははと笑い出した。
「なに言ってやがるんだ。国民といったってよ、全体だよ。つまり国家ってやつだよ……」
と叫んだのは、ミユツレルだ。
「何が国家だい」とチャアデンは狡そうに指をパチリと鳴らして、「憲兵のよ、警察のよ、税金のよ、それが貴様たちのいう国家だ。そんなことの学科なら真っ平だ」
「そりゃあうまいことを言ったぞ」とカチンスキイは言って、「貴様初めて本当のことを言ったぞ。国家というものと故郷というものは、これは同じもんじゃねえ。確かにそのとおりだ」
「だがそいつは両方とも一つのものにくっついているからなあ」とクロップは頭を傾けて、「国家のねえ故郷というものは、世の中にありゃしねえ」
「それはそうだ。だが考えてみねえ。おれたちは貧乏人ばかりだ。それからフランスだって、大がいの人間は労働者や職人や、さもなけりゃ下っぱの勤め人だ。それにどうしてフランスの錠前屋や靴屋がおれたちの向かって手向いしてくると思うかい。そんなわけはありゃしねえよ。そいつはみんな政府のやることだ。おれはここへくるまでに、フランス人なんか一度だって見たことがねえ。大がいのフランス人だって、おれたちと同じこったろう。そいつらだっておれたちと同じように、何がなんだかさっぱり知りゃしねえんだ。要するに無我夢中で戦争に引っ張り出されたのよ」
「そんなら一たい、どうして戦争なんてものがあるんだ」
と訊いたのはチャアデンだ。
カチンスキイは肩をそびやかした。
「なんでもこれは、戦争で得をする奴らがいるに違えねえな」
「はばかりながら、おれはそんな人間じゃねえぞ」
と歯をむき出したのはチャアデンだ。
「貴様じゃねえとも。ここにゃ誰もそんな奴あいねえよ」


西部戦線異状なし』エーリッヒ・M・レマルク著 秦豊吉訳 新潮文庫版より