神国日本のナチス研究 その2


ナチス・ドイツ憲法論』 オットー・ケルロイター著 矢部貞治 田川博三訳 岩波書店 昭和14年

ナチス憲法論というのは当時の法学界で一部流行したもようで、類書は結構出てくる。自由主義的民主制・ボルシェヴィズム・ナチス全体主義――という三つどもえの中で、「近代の超克」を模索するに当たって、その一翼たるナチス法哲学が頻繁に参照されたのであらう。
オットー・ケルロイター博士は「ベルリン大学教授で、ナチス憲法学の権威」だというのだから、総統悪い八位であったのだろう。昭和13年に交換教授として来日したそうだから、どこかにその即席が残っているはずだが、面倒だから調査はやめました。

んで、実はこの本は、以外と「読ませる」ものになっているのですよ。

第1章 政治的基礎
 第1節 政治的なるものの本質
 第2節 ドイツの自由主義的民主制とマルクス主義
 第3節 ナチスの世界観的・政治的基礎
 第4節 ナチス法治国家
 ……以下略

ずうっと読んでいくと、どうやらナチス党とドイツ国家は一体のものであって、ナチス党内の命令・団体法は、ライヒの法律としての意義を持つと同時に、総統やナチス大臣の日々命令もまた、法律としての効力を持っていたらしい。へえ、知らなかったっす。

この本の一番最後の節は「学問の自由」。もちろんいうまでもなく

ドイツ指導者国家に於いては、併し、民族・及び国家生活の有機的結合の範囲内では、学問及び研究の自由が保障されている。学問殊に精神科学の「客観性」は、政治的現実に対する無関係性には存せずして、その対象への直向と創造的没入に在る。

――というわけで、あくまでも「民族・及び国家生活の枠内」のハナシ。まあこれはお約束ではある。けれどもこの節の最後に、こんなことがさりげなく書かれてました。

一九三七年一月三十日の布告により、フューラーは、芸術及び学問のためのドイツ国民賞の創設を命じた。それは毎年三人の功績在るドイツ人に与えられる。同時にノーベル賞の受領は、将来ドイツ人には一切禁ぜられた。

アホだ……