「生長の家」谷口雅春総裁の米英撃滅法


生長の家』第十四輯第十一号 昭和十八年十一月


まずは谷口師の靖国論から。

靖国に於ては、)人間は既に永遠の生命を得、金剛不壊の身を体得して自由自在を得ているのであります。靖国の神となると云う事は、戦死の最後の瞬間に一切の五根が破壊し、五官の最後の迷いを去って実相無極の自由自在身を得ることであります。靖国の神となると云うことを、「もう死んで存在しない人間を記念に祭る」と云うように考えると大変な間違だと思うのであります。「もう居ない」どころか、迷いの根源であった五根五官が破壊して、却って自由自在の「神の子」たる実相を顕現して、日本の実相たる「浦安国」に現にその崇高なる存在を続けていられるのであります。
谷口雅春「大日本皇神学序説」『生長の家』第十四輯第十一号 昭和十八年十一月)

靖国に祀られると、迷いの根源が破壊されて「神の子」となるのだそうだ。
だったら毎年お詣りに行かなくても、「金剛不壊の身を体得して自由自在を得ている」のだから英霊の勝手にしてもらえばいいじゃないか。

プリンス・オブ・ウエルズをいくら轟沈しても、「敵対」の妄念がある限りは轟沈しても轟沈しても又出て来るのです。形は「念」の投影だからであります。だからユダヤ民族に謀略に「止メ」を刺し、米英の策動に「止メ」を刺すには「敵対」の形の根元になっているところの心を撃砕しなければならない。即ち皇神(すめかみ)に反逆するところの心を撃砕してしまわねばならない。そうして、日本は皇神の御国であるから到底日本に刃向かうことは出来ないと知らせなければならない。これが尊皇攘夷の根本であります。
(同上)

で、これが「米英+ユダヤ」撃滅法なのだが、谷口師の信念からして、相手の物理的身体を破壊するのではなく、「皇神に反逆するところの心を撃砕」しなければならないらしい。嗚呼、合掌。