寄稿しました:抑えられない改憲衝動 右派系各誌が安倍待望
「しんぶん赤旗」(2018年9月16日)読書面に、右派系三誌がいっせいに特集した「安倍三選」待望記事について寄稿しました。
『世界』2018年10月号に寄稿しました
『世界』2018年10月号に、「「私たち日本人」はトキが自由に飛び回る日の夢を見るか」を寄稿しました。日本教科書の中学生むけ「道徳」教科書3学年分をネチネチ読んでのレポートです。
一読して何よりも驚くのは、「道徳」の教科書に安倍晋三首相の真珠湾での演説(2016年12月27日)が登場していることで(中1)、まさに〈安倍晋三記念「道徳」教科書〉といった趣である。しかも右派系 修養・道徳団体として知られるモラロジー研究所の出版物からの引用・転載が2本、右派系文化人寄り集まって編纂した『はじめての道徳教科書』(育鵬社、二〇一三年)からの引用が1本――入っていたり、突然「〈もつと知りたい〉武士道」(中2)などのコラムが登場するなど、その政治的イデオロギー性の頭も尻も隠していない異様な展開でいろいろと驚いた。
で、twitterでも書いたこの下りの顛末も盛り込んでいます。
「真希はそう言いながら、ベッドのそばまで来て俺の顔を覗き込んだ。柔らかな髪が揺れて一瞬シャンプーの香りがとつぜん立った。突然のことで俺はどぎまぎして答えた」。
当該ページの挿絵がこちらになります(日本教科書『生き方から学ぶ』(中学1年用)より)
倉橋耕平さんの『歴史修正主義とサブカルチャー』書評をWEB世界に寄稿しました
「新しい歴史教科書をつくる会」が設立記者会見を行った1996年12月から22年が経とうとしている。2018年現在の大学生のほとんどは、生まれたときから「自虐史観」非難の中で育ったことになる。
この20年で歴史修正主義的言説が言論の市場に占める割合は拡大し、書店では民族的差別主義と一体となった歴史修正主義本が跋扈した。その種の言説のビリーバー/ユーザーもまた増大している。そもそも歴史修正主義に非常に親和的な政治エリートが政権に居座っている中で、大規模な公文書の改竄が行われていたことも明らかになり、すでにごく近い過去さえも政治的利害によって「修正」されてしまうほど社会は劣化した。
新刊レビュー/倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』 評=早川タダノリ | WEB世界
トークイベントに出演します(2018年10月4日@東京)
【以下引用】
10/4(木) 19:00~
平和の棚の会10周年企画
斎藤美奈子さん×早川タダノリさんトークイベント
「積極的平和と出版メディア~平和のために出版はなにができるのか~」
今年結成から10年を迎えた『平和の棚の会』が選書の基準にしている「積極的平和」。
その概念は単に「戦争がない」という状態だけを「平和」とするのではなく「衣食住・人権・福祉・ジェンダーなどで差別されず、命がおびやかされない状態」を指します。
今から81年前の1937年に始まった日中戦争は太平洋戦争へと発展してゆきました。
世の中が戦争へと突き進むなかで、庶民はどのように戦争に向き合ったのか。
また、円本ブームなどを経て庶民への情報提供者となっていた出版社はどのように戦争にかかわったのか。現代となにが相似し、なにが違うのか。「積極的平和」を一つの軸にして考えます。
トークは『戦下のレシピ』(岩波現代文庫)で、戦争前夜から敗戦直後までの婦人雑誌の料理レシピから時代に迫った文芸評論家の斎藤美奈子さん。
戦前の「家」制度の実像と、「日本の伝統的家族」モデルのイデオロギー性を 探る『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社)編著者の早川タダノリさんです。
開催日時:2018年10月4日(木) 19時00分~(開場18時30分)
開催場所:東京堂書店 神田神保町店6階 東京堂ホール
参加費: 800円(要予約)
参加ご希望の方は店頭または電話にて、『斎藤さん×早川さんトークイベント参加希望』とお申し出いただき、名前・電話番号・参加人数をお知らせいただくか、上記「お申し込みはこちら」から専用予約フォームにご入力の上、送信してください。イベント当日と前日は、電話にてお問い合わせください。
ご予約受付電話番号:03-3291-5181
【お申込みはこちらから】
10/4(木) 19:00~平和の棚の会10周年企画 斎藤美奈子さん×早川タダノリさんトークイベント「積極的平和と出版メディア~平和のために出版はなにができるのか~」 | 東京堂書店 最新情報
藤原正彦『日本人の誇り』の細かい日本スゴイ・テクニック
原稿を書くために藤原正彦『日本人の誇り』(PHP新書、2011年)を読んでいて、こんな一節に出くわした。
著者がお茶の水女子大学で教鞭をとっていた時、一年生対象の読書ゼミをうけもったという。そこで「日本はどういう国と思いますか」という質問したところ、ネガティブな答えしかかえってこなかった。
藤原センセイは「日本中のほとんどの若者が自国の歴史を否定しています。その結果、祖国への誇りを持てないでいます。意欲や志の源泉を枯らしているのです」とまとめた上で、さらにつぎのように質問したという。
「それでは尋ねますが、西暦五○○年から一五○○年までの十世紀間に、日本一国で生まれた文学作品がその間に全ヨーロッパで生まれた文学作品を、質および量で圧倒しているように私には思えますがいかがですか」
これで学生達は沈黙します。私はたたみかけます。
「それでは、その十世紀間に生まれた英文学、フランス文学、ロシア文学、をひっくるめて三つでいいから挙げて下さい」
彼女達は沈黙したままです。私自身、「ベーオウルフ」と「カンタベリー物語」くらいしか頭に思い浮かびません。
私は彼女達にさらに問いかけます。
「この間に日本は、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、源氏物語、平家物語、方丈記、徒然草、太平記……と際限なく文学を生み続けましたね。しかも万葉集などは一部エリー卜のものではなく、防人など庶民の歌も多く含まれています。それほど恥ずかしい国の恥ずかしい国民が、よくぞ、それほど香り高い文学作品を大量に生んだものですね」
これ、ツッコミどころ多数すぎて……。ヨーロッパ文学の専門家の方のご意見を待ちたいところですが、門外漢であっても、
・「西暦五○○年から一五○○年」という限定はなぜなんですかね?
・「全ヨーロッパで生まれた文学作品」にしてしまってアジアをはじめその他の地域を外しているのはなんでだろ?
・「全ヨーロッパ」と言いつつ、「英文学、フランス文学、ロシア文学」にしぼり、イタリア・スペインそのほかを外しているのはなんでだろ?
・ラテン語のものはどこにカウントされるんでしょうか?
・「頭に思い浮かびません」……日本の古典は初等中等教育で教えられるから「知っている」。けれども日本以外の地域の中世文学はどこまで習うのかという「教育の枠組み」は勘案されていますか?
などの疑問が浮かんでくるんですよね。
なんか細かいテクニックを使ってて、ちょっとびっくりしたんですよ、コレ……